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「頑張れ」も「頑張る」も大嫌い

こんにちは。Saekaです。

今回は雑記です。

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小さい頃から周囲の様子を伺って、常に周囲に気を使って、
そうすることで褒められることが当たり前に感じていた。
いつしか褒められなくなった。
いつからだろう、「もっと頑張らなきゃ」の呪いにとらわれるようになったのは。

気を使う必要のない場面、
元気に振舞う必要のない場面、
器用に見せるなくていい場面。
全部私にとって「頑張らなきゃ」いけない場面だった。

無意識に意識が「頑張る」ことに向いてしまう。

本当はそれは自分を高めることじゃなくて、
自分の本質を良い方向に向けるものではなくて、
他人によく見せるため、褒められるための「頑張り」。

いつも自分のことを後回しにして、
周囲を言い訳にしている。

そんな私にとって、

「頑張れ」

は、知らない間に刷り込まれた異常な常識の言葉でしかない。

もっと自分を後回しにしなきゃ、周りを見なくちゃ、
あの人がどんなことを考えて、どんな風に感じているか、
いち早く察知しなくちゃ。

それも結局全部言い訳なんじゃないか。

本当は誰もそんなことは望んでないのに。

「頑張らないと」いけないことは、実は思い込み。
そんなことに気づいたのはほんのつい最近。

会社で空回り、責任逃れをして、いつもどこかで言い訳をしていた。
本当にあの2年半、とても稚拙で幼稚だった。
一番周囲を察知しなければいけない時期だった。
振り返るのは簡単で、反省するのも簡単で、
大事なのは今、それに気づいて、ちゃんと変われているか。

今は少し変われただろうか。
少しは周囲より自分を察知できているだろうか。
分からないけど、「頑張ら」ない。

ドイツに来てから、何かが吹っ切れた気がする。
全部「楽しもう」と決めた。
決めたのはいつだったか忘れたけれど、
気づいたら自然とそう思えていた。

なんか楽しかったり、なんか幸せに感じることが今の自分には一番大事で。
「頑張れ」より「楽しもう」のがしっくりくる。
モチベーションも全然違う。
人それぞれどんなものを抱えているか、そんなのはどうしたって察知できっこない。
目に見えていることと、自分の中で感じていること、思っていること、
そういうことに気を払って物事をとらえていきたい。
まだ少し、力を抜くのは苦手だけど。


息苦しい時は楽しまなくてもいいし、幸せでなくてもいい、
そういうときは一歩立ち止まって、次の一歩を大きく踏み出してみる。
そういう生き方を目指したい。

皆さんの思う素敵な生き方はどんなだろう。


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ちょっと、というよりかなり詩的に私的なことをつらつらと書いてしまいましたが、
成長途中の私の素直な感覚を残してみたくなったのでまとめました。

Saeka.


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