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【バイオレンスティーチャー】 第2話「 "狂い始めた人生の歯車"」


僕の誰にも言えなかった過去。

ある教師との出会いが僕の人生を変えた。


これは約8年前の2011年3月。

僕が13歳の時(中学1年生)の終わりごろからの話である。

*第1話はこちらから👇🏻

狂い始めた人生の歯車

2011年3月

この年といえば。

3月11日に未曾有の大災害となった東日本大震災によって

日本中、そして世界中に激震が走ったのが今でも真新しい。


日本中の多くの人々の

「人生の歯車」が狂ったと言えるような、そんな月であった。


僕は、東京でこの揺れを体感した。


しかし、その地震の揺れ以上に


僕の「人生の歯車」

大きく揺れ。狂い始めていたのである。


2011年3月末

中学校生活初めての春休み。


僕は4月から男子ソフトテニス部に入るべく

所属していたアグリカルチャー部(園芸部)を

辞めようとしていた。


あとから聞いた話ではあるが…

このアグリカルチャー部で僕は、

1年間の積極的な活動が周りに評価され

4月からは「部長」になる予定であったそうだ。


言われずとも薄々と

そのような雰囲気を感じていた僕にとって

「辞める」という選択は

顧問の先生や友人にはとても申し訳ないことであった…。


しかし

大好きな「テニス」を1年間毎日出来るのであれば、それは、仕方ないと思っていた。


この春休みがいまでも、

人生で1度だけやり直したい過去である。


なぜなら

"この時にアグリカルチャー部を辞めなければ、ソフトテニス部でこれから起こる全てのことを、体験しないで済んだ…。"

そう感じている僕が

8年たった今も、心のどこかにいるからである。


2011年4月

3月いっぱいでアグリカルチャー部をやめ、

「ソフトテニス部」での日々が始まった。


僕は

「これでテニスが毎日できる。1年間、頑張ろう!」と。

可能性に期待し、舞い上がっていた。


部員は僕以外に

1年生が10人加わった。

(もちろん新しい部活と言っても、2年生から転部をしてテニス部に入るなんて、僕以外にはいなかった。)


僕は2年生ということで、すぐに部長を任された。


物静かな正確であるが故に

どんな部活に行っても「部長」を任せられるのは

少し苦痛ではあった。


ここから

英語教師の顧問(以降省略して"A先生"とする)と

11人の「男子ソフトテニス部」が始まったのである。


初めての公式戦

2011年5月

入部して、初めての試合。


運良く、初戦を突破することができた僕は

2回戦に進んだ。


僕にとって、「勝利」とは特別なものであった。


なぜなら

普段の生活でずっと物静かな

いわゆる"陰キャ"だった僕にとっては

初めて他人に"勝利した"瞬間であったからである。


しかしいま思えば…

この"勝利"は経験するべきではなかった。


この試合に勝っていなければ

この後のことは、全部なかったはずだ。


2回戦では

ひとつ上の3年生(地区でベスト4)という

地区では名のあったペアと対戦した。


ソフトテニスを初めて約1ヶ月の僕は、

結果的に2点しか取れず、"ボロ負け"。


僕は負けたことよりもむしろ

強い相手と試合をできたことに、とても満足していた。


そして「次こそ、がんばろう!!」

と、思っていた。


しかし、僕の後ろには1人

この試合に満足できない人物がいた。


それは、「A先生」である。


A先生はその試合を見て

僕や、後輩以上に悔しさを感じたのであろう。


試合後に

"もっと点が取れただろう!もっとやれただろう"

と、罵声を浴びせられたことは

未だにはっきりと覚えている。


その時は

運動部であるし。罵声とか、まぁ、仕方ないな。

なんて、思っていた。


しかし、これは始まりに過ぎなかった。

この試合から、全てが狂ってしまった。


僕はまだ、「A先生」の事など

1ミリも知らなかったのである。

試合が終わり、行き着いた場所…


試合が終わり、後輩たちとA先生との帰路。

後輩たちも初めての試合で

ほぼ全員が1回戦負けをした。

そんな、暗い雰囲気のチーム。


それを気にしまいと

太陽は高いところで、明るく、ギラギラと輝いていた。


最寄り駅に到着し、解散。


家に帰ろうとしていたところ

僕は1人、A先生に呼び止められた。


こういうシチュエーションでの

部長の呼び止めというのは

明日からの部活の諸連絡というのが

一般的である。


しかし

僕の場合は違った。


僕の場合は、「自転車で着いて来なさい。」

そう言われた。


拒否する理由もなく、僕は着いて行った。


たどり着いた先は

A先生の住んでいるというマンションであった。


そもそも

「教師の家に生徒が行っていいのか?」

という疑問はあったが

その時は従うしかなく、僕もそこまで深く考えてはいなかった…


部屋に入ると、床にぽつんと置かれた

ガラステーブルの前に座らされた。


しばらくすると

A先生が来て、言った。


「今日の試合での反省点や、改善することは?」

と…。


銀色のアルミ缶


何度も言うが、僕は小学生の頃からいわゆる

「陰キャ」だった。


そのため

自身の考えを言葉にすることは最も得意ではなかった。


さらには

まだ初めて約1ヶ月のソフトテニスについてなど

全くわからず…。


そもそも何が悪かったのか教えてほしい!

と思い。

何も答えず黙って待っていた…。


気づけば、ガラステーブルの上には

「銀色の缶」が置いてあった。


僕は

その缶が、今でも大嫌いだ。


僕は

一生そのアルミ製の缶を、好きになることが出来ないだろう。


「その缶は人を変え、その缶は人を壊す。」

僕はそう思い続けている。


中身は飲まなくてもわかる。


その缶が変えるのは

それを飲む人をだけではない。


その目の前にいた僕の人生も変えられてしまった。


○僕の人生はその缶によって180度変わり。

○僕の人生はその缶によって壊された。


20歳を越えた今も、僕はその缶の中身に

全く興味が無い。


むしろ、軽蔑すらしている…


「あくまのすがた」


銀色の缶に何度か口をつけたA先生。


そして、目の前には

質問に対して何も言えない僕。


気づけば、A先生の目つきは変わっていた。


そして、僕の頬にはA先生の手のひらが何度も打ちつけられていた。

「なぜ黙る!?なぜ何も答えない!?そんなんでは勝てるわけない。なにか答えろ。」と。

大きな声で言いながら…。


次第に目からは水滴が落ち始め、

僕の頬は真っ赤になった。


何度も自分に問いかけた。

「僕はなにか悪いことをしたか?」

「僕はなぜ叩かれているのか?」


その問いの答えなんて分からない。

それに、知りたくもない。


気づけば目の前には

銀色の缶を持った真っ赤な顔の

「悪魔」がいた。


そして、この日から

僕は「1人」になった。



第2話 おわり。 byさかな。

*この話はノンフィクションです。



さかなの過去の実体験に基づいて、当時のことを自由きままに書いていきます。

次回 【バイオレンスティーチャー】

第3話「そして僕は "人形"になった」


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ぜひ次回もお楽しみに…。

楽しい内容ではありませんが。


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