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今からそんなに着込んで、冬本番になったらどうするの

「今からそんなんでこの先どうするの」


というような意味の言葉を、母からよく言われた。


一番多かったのは、秋になって間もなく「寒い寒い」と早々に冬のパジャマや寝具やコートを使用する時だった。

「今からそんなに着込んで、冬本番になったらどうするの」


毎年のように言われた。
幼少時は疑問に思っていなかったけれど、ふと思い返して不思議な価値観だと思った。


何故一番やばい時期に合わせて一番強い装備を出そうと思うのだろう。

寒いなと思った瞬間に一番暖かいのを出せば、母の言う「冬本番」までは少なくとも心配することなく快適に過ごせるではないか。


しかし母は自らもそれを実践していて、「寒い」と言いながらも決して秋に冬用のパジャマを出して着たりはしない。


母は脳筋なのかもしれない。


病弱な私を全く歓迎しておらず、頭痛や腹痛や微熱くらいで学校を休むと「お前は弱い」と言われた。

特に、学校で何か嫌なことがあった日に具合を悪くすると、「心が弱いから体も弱くなるんだ」と叱られた。

当時は素直だったので「私は弱い……」と思って嘆いていたが、そういうパーソナリティなんだから仕方がないと近年思い直した。

私は弱い!堂々と弱い。


職場でも「微熱くらいで休むな」という考えの人はたくさんいる。
私も仕事を休むのはまずいと思っていたので休まなかったが。
しかしその時COVID-19が流行っていたとしたら、母も上司も同じことを言っただろうか。
無理だと思ったら休んだ方が良い。無理して行ったところで良いパフォーマンスは出ない。




話を戻す。

なぜ不快感を感じた時に、現時点ですぐに改善できるのに実行しないのか。


寒さに対してだけではない。
何かあった時に、私が「〜すればいいじゃん」と言うと、「もっとひどくなった時はじゃあどうするの」と言われる。

戸惑う。
それとこれとは関係ないと思うからだ。
今は解消できるんだから、そっちの方が良くない?と思う。
もっとひどくなった時はまた考えれば良い。

しかし納得されたことはない。


いつまでも希望を持っていたいのだろうか。

寒くても辛くても、「まだこれがあるから大丈夫」「いざとなったらこれを出そう」と思っているのが心の支えになっているのかもしれない。

いや違うか。

安心した後に落とされるのが嫌なのだろうか。

あったかい、あったかい、あったかい、さむい
になると過度な変化でキツいから、

少し寒い、少し寒い、少し寒い、寒い
にしたいのだろうか。


だとしたら私よりめちゃくちゃナイーヴな心の持ち主なのか?


変化は、良い変化でも悪い変化でもいずれにせよストレスを感じるらしい。

そのストレスを最小限にしたいがためにそのようなことをしているのだろうか。


不思議だ。


もう既に「冬本番」の装備で過ごしている私を、母はどう思うのだろう。
昔から寒さに弱く、すぐに音をあげるので、またか、と思いつつきっと快くは思わないのだろう。

不思議だ。


母も快適に過ごす期間が長くなればいいなと思う。

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