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違う人しかいない②

久しぶりに会う彼女は、行き届いた容姿も都会にするりと溶け込む雰囲気も素敵で、いわゆるエリートの道を歩いているんだろうなと、わたしはすぐに振り分けてしまった。

会ったら昔のように他愛もない会話をした。頑張っている仕事のこと、学生時代のあれこれ、恋愛へのあれこれ……やっぱり彼女は、わたしが思った通り眩しくて、遠くに行ってしまった気がした。学生当時一緒にいた彼女たちは、同じ環境の中で、わたしを褒めそやした。
だけど、今違うところで違うことをしているわたしは、エリート側(後から、競争社会でバリバリやっていけることを、自分でエリートと定義していたことに気づく)を視界に入れることはない。今の自分をそこそこ気に入っている一方、他人から「そこにいるのは勿体無い」「もっといろんなことができたはず」と惜しむような言葉をかけられ、どこかでグレードダウンしてしまったと思っている。「わたしは、それでもこういう在り方が好きなのだ」とさらりと交わせるほど生活に安心はなく、自分の幸福の形が間違っていることを指摘されることから隠すように作品を作るだけだ。

昨年の1月10日、朝日新聞の天声人語の一言を気に入って、手帳に残した。「個性は、すぐ壊れそうで傷つきやすいところを言う。」
そのことは、今日手帳を見返すまで思い出すこともなかったが、そういう心の持ち方を気に入っていたのかもしれない。わたしは、素直に彼女にそういうあり方が羨ましいこと、あなたのような人といつか話が噛み合わなくなっていくのではないかという怖れを話していた。
すると彼女は、「え、今もわたしと話合わないと思ってる?」と言った。

たった一杯の珈琲で、自分たちのその時だけのルールの中で、過去への愚痴や悪口を言い、軽口を叩いて思い切り笑う。噛み合ってないとできないことだった。「話通じるくない?」と変な日本語で、彼女はからりと笑った。
「競争の中で仕事してる人は自分をよく見せてなんぼだから、そういう人の話は、わたしだって話半分で聞いてるよ」とそこで生きる術もチラ見せしてくれた。

「他人との違いを示すために、自分の一番弱い、すぐに壊れてしまいそうなことを曝け出す。それが、個性を出すということ。」キリーロバ・ナージャさんという、親の転勤で何カ国もの生活を経験した人の言葉だ。
彼女は今でも、わたしの個性を受け入れて、共有する時間を楽しんでいた。わたしがシャツを作りたいという話からの約束だったので、型紙の載っている本を一緒に眺めた。その時のわたしたちの幸福の形は同じだった。


わたしのパートナーも、ちょうどよくわたしと違っていて、似ている。時々、都合悪く違っているけれど。
自分とは、違った人と対話をすること。もし自分の世界になかった、違う相手のもつ価値観の方が生きやすそうだったら、取り入れてみようかなとラフに思えてより良い。
わたしは、「これが正しい」「これをしなければいけない」といった「べき思考」が強い。勉強しなくていいとか時には人をコントロールしようとしてもいいとか、そういうことまで受容できる日が来るとは、まだ思えない。
けれど、異なるものとの出会いが時々あるならば、少しずつ、いい方へと変わっていく気がしたのだった。

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