また、本屋のことばかり考えている(もう辞めたのに) 19.08.19

3月まで書店員だったので、本屋のことを考えることは多い。アート系の本屋なら働いてもいいかなーとか、アート・カルチャー専門の本屋をやれたら面白そうだなーとか。出版編集の仕事とか出来ないかなーとか。

この前、前の職場の書店に寄った。元同僚の社員に顔を見せたら「戻ってくる気になった?」と言われた。その時は大して話さなかったが、後で「同じ仕事(芸術書担当)をさせてもらえるなら戻ってもいいかな」とは思った。まぁ時給が上がらないと元も子もないので、冷静に考えて、無いなー、という感じではあるが。

都内にも何店舗も展開しているチェーンの書店なので、トップダウンで決定されることや、会社の方針という名の下に判断されることが多かった。それ自体は、ある程度大き目の会社として、ビジネスとして、当然の態度だと思う。そんな中で、自分が納得いかなかったり、釈然としなかったり、不満を覚えることが多かったのは、単純に個人的な思想とか志向の問題である(とは言え嫌韓・嫌中本や、諸々の問題が指摘された本などを恥ずかしげもなく並べていたのは、それが会社の方針に適ったものだとしても納得できず、それも退職する遠因となったのだが)。

出版不況と言われて久しい。本ならAmazonで、または電子書籍でいくらでも読める現代。本屋という実店舗の存在意義が問われているというのは、出版業界、書店業界に身を置いている人なら、誰でも頭の片隅に存在する問題だろう。

本屋という存在はかつて、街や地域における教養やカルチャーの担い手だった(とどこかで聞いたのだが、あまり思い出せない)はずだ。大規模書店のチェーン展開によって、どの店に行っても同じ、話題の本が手に入れられるようになった。大量に刷られた本を大量に売る、という消費社会的形態(それは高度経済成長によって築かれたのかもしれない)と、ビジネスとしての発展である。そしてインターネットが発達し、いつどこにいても本が、情報が、知識が手に入る状況になった今、本屋はふたたび、街の教養の担い手、という立場に立ち返る必要があるのではないか。あるいはそれでさえ不十分で、また新たな場所としての本屋が求められているのかもしれない。

さっきも書いたけど、この前久々に顔を出して、元同僚に「戻ってくる気になった?」と言われ、帰ってきて冷静に考えた。現行の出版業界のシステム、本屋のあり方、書店の会社としての態度、そういったものが変わらない限り、出版業界も本屋も、変わらないのではないか。それが変わらなければ、出版業界の末端で働く書店員は、仕事も変わらず給料も上がらず休みもなかなか取れない、そんな状況から変わらないのではないか。そしてそのシステムを変えるには、出版業界や書店の論理ではなくて、他業界の論理を用いる必要があるのではないか。

僕は芸術書の担当者だったので、例えば芸術の観点から、本屋のあり方を見直してみる、とか。音楽というジャンルから見直してみる、とか。棚単位でもいいと思う。本屋の論理ではなく、それぞれのジャンルの論理で、本屋を作る。それが具体的にどういうことで、どういう効果をもたらして、どういう本屋になるかは分からない。しかしそういう店づくりが出来たとき、ビジネスや、上辺だけではない、真に教養の、カルチャーの担い手としての、本屋の新たな形が生まれるのではないか、と。

とは言え思いつきである。具体的なことは何も分からない。こんなこと言ってもちっとも説得力無いし、無責任な持論に過ぎない。僕は本屋時代、現状の本屋の存在や立ち位置やあり方を変えるような、もっと面白い棚が作れないか、といつも思っていた(思うだけでいつも投げ出していた)。最近考えているこういうことは、その棚づくりの延長なのかもしれない。

今のシステムの書店に戻るつもりは無い。もしそこへ戻ることがあるのなら、システムそのものが、本屋のあり方が変わってからだ。あるいは、そういうシステムから抜け出しているような、はみ出しているような、そんな店で働きたい。

そんなことを最近は考えるようになっている。


書店で働いた8年という時間は流石に長かったようで、今でも本屋のあり方を考えている自分に、辞めて半年程度では仕方ないが、しかし囚われすぎだなと思う。こんなこと言いながら、案外、本屋という職場は居心地良かったのかもしれない。

いや、戻る気は毛頭無いのだが。

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