やすとみ歩氏(参議院選 れいわ新選組 全国比例候補)19.07.14 銀座ホコ天博品館前 街頭演説 文字起こし

2019年夏の参議院選挙。7月14日、れいわ新選組から全国比例で立候補したやすとみ歩氏が、銀座のホコ天、博品館前で街頭演説を行いました。
僕は当日、やすとみ氏のツイッターでの中継を見ており、とてもいい内容だと思いました。れいわ新選組の街頭演説は公式HPで文字起こしが掲載されますが、候補者が別々に行う街頭演説までは流石にカバーしきれていない、ということと、文字にすることで自分自身の理解を深めたかったので、勝手に文字起こしをしてみました。

●基本的にセンテンスごとに改行をしています。読みづらいことに関してはご容赦ください(改行など、文字起こしとしての内容に影響が出ない範囲の、読みやすくするための編集をしていくつもりです。あくまでつもりです)。
●文字起こしに際しては以下のYouTube動画を利用しました。
●以下動画の49分30秒のあたりまでを文字起こししています。動画(街頭演説)はこの後、楽隊とのセッションが主になります。セッションにおけるやすとみ氏のラップ(?)部分は省きました。



こんにちは、遅くなりました。
れいわ新選組、山本太郎さんが作ったれいわ新選組から、比例区に立候補しております、やすとみ歩です。こんにちは。
ありがとうございます。
やっとユーゴン君が到着しました。私も遅れてたんですけどユーゴン君も遅れてました。
ユーゴン君なんで走ってるかというとちょっと運動不足気味なんです東京に来てからやっぱりどうしてもですね、走り込みとか出来ないんで、走りたくなっちゃうんで、走っています。
ちょっとしばらく運動してもらいますので、時々やってくるユーゴン君見ててください。

私は、山本太郎さんが作ったれいわ新選組から、比例区で立候補しております、やすとみ歩です。

この選挙では、私は、選挙じゃない選挙をやろうと思っていました。
選挙活動に見えないような選挙をやりたいと思って、まず、馬のユーゴン君に来てもらいました。
銀座に馬が来るのは何年振りでしょうか。
昔はこの道も、きっと馬車がたくさん走っていたはずです。
東京でも、昭和30年代くらいまでは、労働力として使われていましたが、その後馬は急激に減りました。
で、ところがモータリーゼーションの中で、馬はどんどん使われなくなりました。
そして全然使われなくなって、あっという間に私たちの目から消えてしまいました。
でも、馬は単なる労働力ではないです。
私たちの社会を形成する上で、非常に大きな影響を人類社会に与えてきた、重要な人間のパートナーです。
特に私は、ここ何年間、馬と接することで、色んなことを学んできました。
自分自身の中の、痛みや恐怖を、乗り越える(ここで救急車待ち)
馬と触れることで、色んなことを学んできて、色んな痛みを乗り越えることが出来ました。
その力は本当にすごいので、ぜひ皆さんにですね、馬がいるっていうことがどういう意味があるのか、知っていただきたいと思って、馬を連れてきています。

この街は馬にはふさわしくない街です。
東京は全ての場所が、細かく、ほとんど一ミリ残さず、人工化されています。
記号化されています。
事前にどこをどういう風にするのか、何に使うのか、人間が細かく決めて、その上で、この街が出来ています。
ここは、記号化された世界です。
バーチャルリアリティーの世界です。
人間もまた、動物なのにも関わらず、この記号化された世界に閉じ込められてしまっています。
それが私たちの困難の大きな原因だと私は考えています。
ですから私は、馬という大きくて優しい動物をこの空間に連れてきて、皆さんに、ここがどういう場所なのか、そしてこの馬がいるっていうことで銀座がどういう風に変わって見えるのか、感じていただこうと思っています。
馬にふさわしくない空間は、人間という猿にもふさわしくないんです。
特に、子どもたちにはふさわしくありません。
この街を、もっと子どもが遊べる街にしましょう。
ヨーロッパの街では今も、馬は普通に見られます。
そのぐらいの余裕をどうして私たちは残さなかったんでしょうか。
何もかも取っ払って、東京という街はもはや、人間の街ではなくなっています。
ここでは、お金やクルマが回るのが優先であって、人間はお金やクルマを回すための動力源になり下がっています。
人間の街を取り戻さなければなりません。
そうして子どもたちが遊べる空間を作りましょう。
銀座に子どもたちが溢れている方がいいと思われませんか。
ここには、もう、子どもが遊ぶ空間は、スペースも無いし、お金も無いし、子どもは来ません。
お金を持った年寄りばかりが集まったって、楽しいことなんか無いです。
子どもたちが、遊べる街にしましょう。
東京を、子どもを中心にした街に作り替えましょう。
日本の社会の原理を「子どもを守る」そのことの上に築き上げましょう。
私たちの国家は、いわゆる国民国家です。
国民国家というのは、19世紀イギリスの資本主義と、フランスの市民軍、市民を動員した国民軍とが合体して出来た、そういうシステムだと私は思っています。
それゆえ、私たちの社会の主導原理は「富国強兵」でした。
戦後日本は、一応軍備を放棄したことになっていますので、「強兵」とは言わなくなりました。
しかし今でも私たちは、経済成長とか、GDP何%という言い換えによって、同じ「富国強兵」の原理を守っています。
そればかりか安倍内閣は、その富国強兵を露骨に推進しようとしています。
しかし、国民国家の賞味期限は、とっくの昔に切れています。
第一次世界大戦の時に、すでにその問題が露呈し、その後ヨーロッパでは様々な努力を経て今EUを作ったりしました。
でもこれも、一つの回答であっても最終的な解決でなかったことは、イギリスがそこから離脱しようとしていることからも明らかです。
私たちの国家は、形を変えるだけでなくて、その原理を変えないといけません。
富国強兵を捨てないといけません。
なぜならそんなものは、私たちの生活の豊かさも、国の安全も守ってくれないからです。
サイバー攻撃を受けた時に、戦闘機をスクランブル発進させて、何の意味があるでしょう。
原発がテロを受けている時に、戦闘機をスクランブル発進させて、何の意味があるでしょう。
国を守るということは、19世紀のような単純な原理では出来なくなっています。
核戦争の時代に、まともに正面切った大国同士の戦争は起きない。
これは、リデル=ハートという、イギリスの軍略家が言ったことです。
彼は電撃戦を発明したことで有名な人ですが、そしてその後にこのように言っています。
核兵器を用いた戦争という言葉は矛盾であると。
核戦争はあり得ない。
核混乱しかあり得ない。
Nuclear Chaosしかあり得ないのだと言いました。
そして彼は、核戦争の時代には、隠蔽された戦争、それとゲリラが重要な役割を果たすであろうと。
これはつまりテロとゲリラのことですが、それが戦争の主役になると、1950年代に予言しました。
そしてその通りになっています。
私たちの時代に、通常兵器を拡大することは、何の意味もありません。
そんなことで国を守れる時代は、とっくの昔に終わっているんです。
国民戦争の時代、そしてその後に総力戦の時代がやってきて、その後に核戦争の時代がきて、核戦争の時代はテロとゲリラの時代でした。
国民国家は、総力戦の前の、国民戦争を戦うための、国の体制です。
完全に時代遅れなんです。
私たちは、国防をソフトウェア的に構築しないといけません。
ソフトウェア的というのは、信頼関係を繋ぐということです。
軍隊に任せて国を守れはしません。
私たちひとりひとりが、アジアの国々の人々ひとりひとりと繋がっていって、そして友情を育んでいくということが、最大の戦力です。
その人間の関係性の上に、国防システムを考えないといけません。
人々が繋がりあうように、国防費を使わないといけません。
そして何より、私たちは自分たちの子どもを守るばかりではなく、アジア中の子どもたちを守ろうではありませんか。
日本がそのような国になった時に、私は初めて、日本が国を守ることが出来るようになると考えています。

私は、れいわ新選組、山本太郎さんが作ったれいわ新選組の比例区候補、やすとみ歩です。

私はこの選挙で、「子どもを守ろう」ということを、「子どもを守る」ということを、国家の主導原理とすべきだと訴えてきました。
私たちの古い富国強兵、そしてその言い換えである経済発展という政治の原理は、もはや完全に時代遅れです。
経済が根本的に変わり始めています。
かつて商品は、生産者から消費者に流れていました。
しかし現代においては、生産者と消費者は分断されていません。
皆さんが何かダウンロードしてソフトを使うという行為は、消費でもあるし、同時に生産でもあります。
Facebookに書き込むという行為は、消費でもあり、生産でもあります。
物を買うという時に情報を発生させ、その情報は商品として流通します。
現代において、消費・生産という区分は、ますます曖昧になっています。
皆さん服を買う時に、最近ではメルカリで買ったりします。
物を買うという行為は、かつては一方向に流れていましたが、今では双方向に流れています。
これは、資本主義というシステム、そのシステムは資本を投入し大きな工場を作り、大量の商品を生産して消費者に流すという構造を基礎にしています。
そんな時代はもはや終わりかけています。
国民国家というのは。ひとりひとりを正確に把握し、常に動員できるようにして、巨大な軍隊を作り、それで国を守るというシステムです。
これが国民軍です。
しかしそんなもので国を守れる時代はとっくの昔に終わりました。
ですから、私たちが生きている、この国家のシステムは、もはや終焉に差し掛かっています。
この時代に、経済発展とか、富国強兵という、古い理念に従っていては、国が滅んでしまいます。
そもそも国が消滅しかかっている今、私たちがしないといけないことは、目の前にいる子どもたちを守るということです。
ハチの社会でもアリの社会でも、子どもを守ることがその目的です。
そしてその原理です。
子どもを守れなくなった集団は、消滅せざるを得ません。
人類の社会だって、子どもを守ることが目標だったはずです。
そうでなければ私たちはとっくの昔に絶滅したはずです。
現在では私たちはその目的を忘れてしまいました。
そしてお金とクルマを回すことにエネルギーを注いでいます。
それで私たちは絶滅の危機に瀕しているんです。
人類は、富国強兵のために、お金を回すために、国を回すため、クルマを回すために、兵器を作るために、莫大な資源を消費して、そして、自分たちの暮らす地球を破壊しかかっています。
私たちが絶滅しかかっているのは、私たちが「子どもを守る」という主導原理を失ったからではないでしょうか。
子どもを守りましょう。
子どもを守ることを政治の理念としましょう。
そうすれば私たちは、豊かな未来が取り戻せるはずです。
大人の望みを叶えることは、とても大変です。
しかし、子どもの望みは、大人の望みと違って実現可能です。
核兵器を欲しいとか、空母を作りたいとか、そういう夢は、子どもはいだきません。
原子力発電所を輸出したいとか、そういう夢も子どもはいだきません。
皆さんのお子さんの、子どもたちの周りにいる子どもたちの夢を、ひとつひとつ叶えていきましょう。
子どもたちの小さな夢をひとつひとつ叶えていけば、それはやがて、大人の大きな夢であったことが分かるのではないでしょうか。

私は、山本太郎さんの作った、れいわ新選組から、比例区で立候補している、やすとみ歩です。

私は東京大学の教授ですが、この東京大学という空間にいることで、日本社会における最も大きな力、暴力、それが学歴差別であると考えるようになりました。
この国では建前上、すべての差別は許されていないはずですが、たくさんの差別がはびこっています。
しかしその中で最も強力なものが、私は、学歴差別だと思います。
もし学歴差別がなければ、どのくらいの数の人が大学に進学するでしょう。
もし学歴差別がなければ、550万人もの若者が、奨学金という名の有利子負債を抱えて苦しむ必要もありませんでした。
学歴差別を前提にして大学に進むということは、その目的は、学歴差別をされる側ではいたくない、学歴差別をする側に回りたいと、そういう思いが働いていることになります。
ですから、大学はもはや、学問をしたり、学問を教える場ではなくなっています。
学歴差別に伴う就職差別をどうやってくぐり抜けて差別する側に回るかを教える機関たらざるを得なくなっています。
しかし大学はそんな場所ではありません。
大学は学びの場です。
恐怖に駆られて勉強している人に、学びは不可能です。
私たちが物を学んだり、新しい知識を生み出すためには、何よりも安心することが必要です。
恐れを抱いて勉強しても、なんにも身につきません。
テストを通ったり、人に褒められたりすることは可能ですが、新しい知識を、自分の本当に理解する、本当に意味のある知識を獲得したり、生み出したりすることは出来ません。
大学はもはや、形骸化しています。
そのようなものに身を置く者として、そのような場に身を置く者として、私はれいわ新選組の掲げる「奨学金徳政令」に賛成します。
もちろんそれだけで問題が解決するわけではありません。
しかし、学びの場でないところに来るために、何百万円も借金して、若者に負債を押し付け、それによって人生の自由を奪うことは、倫理的に私は受け入れられません。
そこに徳政令を発することで、大学というものの意義をもう一度考え直す機会を設けたいと思います。
学歴差別をやめましょう。
学歴などというものは、人間の価値を決めるものではありません。
偏差値順にエリートを決めたって、ちゃんと国が回るはずなんかないんです。
それはまるで、身長順にエリートを決めているのと変わりません。
いやそれ以上に悪いんじゃないでしょうか。
背の高い人には、いい奴も悪い奴もいれば、賢いのもいれば馬鹿もいるので、多様性が確保できますが、偏差値の高い人ばっかり集めると、同じような人間ばっかり出来ます。
テストというのは、正しい答えを導き出すようなものではありません。
テストというのは出題者の意図を見抜いて、その意図を忖度し、言ってほしい答えを書く練習です。
そういう練習を積み上げた人々が国家権力の仕事を担い、権力というとてつもなく恐ろしい、強い力を行使するとき、それは巨大な暴力に転化します。
私たちが目の当たりにしている森加計事件とか、様々な隠蔽工作、偽装工作、わけのわからない意思決定、そしてどんな裁判を起こしても意味のない判決が出る、こういったことはすべて、私たちの国民国家システムの一部です。
山本太郎さんが演説して、どんなにたくさんの人が集まってきてもテレビに映らないのは、テレビが悪いのでは、テレビを放送している人たちが悪いのではありません。
それはそういうシステムの一部なんです。
そのシステムに合致するものだけが、システムの一部として放送されます。
私たちはこのシステムの作動を止めなければなりません。
無目的に作動し、子どもたちを飲み込み、大人を踏み潰し、自然環境を破壊しているシステムを、止めないといけません。
システムを止めるためには、休むことです。
サボることです。
一生懸命働くのはやめましょう。
意味のないことを一生懸命するのは、破壊行為に加担することになります。
私たちの社会では、悪は細かく区切られています。
悪は、悪辣な行為は、バラバラに切られ、皆はそれぞれ小さな小さな部分だけを担い、バケツリレーを繰り返しています。
そしてバケツが一番端に渡ったとき、巨大な暴力が行使され、自然環境は破壊され、人は殺されます。
バケツリレーをやめましょう。
意味があると思われる行為をしましょう。
意味がある行為をやっていけば、意味が生まれます。
意味のない行為を積み重ねても、無意味しか生まれません。
そして無意味は暴力です。
私はこの選挙を、無意味なことはしないと誓ってやっています。
名前を連呼して、人々に一票をお願いするという行為に私は意味を見出すことが出来ません。
私は、選挙を通じて、皆さんに「子どもを守ろう」ということを生活の、国家の原理にしてほしいと、お願いしたいと思います。
子どもを守ってください。
子どもを叱るのをやめてください。
大人に子どもを叱る権利があるんでしょうか。
こんなわけのわからない世の中を作っておいて、子どもにそれを順応させるように叱りつけたり怒鳴りつけたり、しつけたりする権利が大人にあるでしょうか。
まともな世の中を作ってから、そうしてください。
でもまともな世の中を作ったとき、子どもたちは、叱られなくても、怒鳴られなくても、その社会に順応しようとします。
それが適応する力というものであり、それが子どもの学ぶ力というものです。
子どもが学ぼうとしないこと、子どもが受け入れないことはやめましょう。
それが私たちの指導者です。
子どもたちが、私たちの指導者です。
子どもを守りましょう。

たすきが無いのは知ってるんですが、途中で出すのはダサいかなと思って、やっていませんでした。
ちょっとここでじゃあ、少し休憩して、片岡さんに演奏してもらいながら、たすきを付けようと思います。

こんにちは、私は、れいわ新選組、山本太郎さんが作ったれいわ新選組から立候補しているやすとみ歩です。比例区に立候補しております。よろしくお願いします。

私は、この選挙を通じて「子どもを守る」ということを訴えてきますが、それはもちろん、マイケル・ジャクソンの思想に影響されてのことです。
マイケル・ジャクソンという、私は彼は非常に偉大な思想家だと思っていますが、彼は自分自身の子ども時代や、そして自分自身の青春時代の苦悩の中から、すべての問題、すべての人類の問題、満員の刑務所から大きな戦争に至るまで、すべては子どもの、子どもから子ども時代が奪われていることにあると主張しました。
私は彼の作品のすべて、すべてではないんですが多くを細かく検討して、その作品がことごとくこのメッセージに結びついているということを確信しました。
そして『マイケル・ジャクソンの思想』という本を書いています。
子どもを守りましょう。
それは、子どものためにやるのではありません。
地球のために、人類のために、子どもを守らないといけないんです。
それが「Save Our Children」「Heal The World」という、マイケル・ジャクソンのスローガンの意味です。
子どもを守ることで、子どもの夢を叶えることで、子どもの話を真剣に聞くことで、私たちはどうすればいいか、理解することが出来ます。
彼の多くの作品は、このことを示しています。
例えば「Billie Jean」という歌は、恋愛感情、本当の愛情がないところに、愛情の劇が繰り広げられ、子どもが生まれるという物語です。
そしてそこには、子どもを守るという、子どもを利用するという原理が作動しているのであり、子どもは守られていない。そういうことが示されています。
そして何よりも、私たちが最もよく知っている「Thriller」という作品があります。
それは、おそらく何十億という人が見たんじゃないでしょうか。
あの映像の中に出てくるゾンビは、ゾンビを描いているものではありません。
それはマイケルがそのDVDの中で、この作品はオカルティズムを促進するものではない、ということを自ら言っています。
では何を表現しているのでしょうか。
それは私は、私たちの姿を描いているんだと思うんです。
子どもから、子ども時代に、子どもの頃に子ども時代を奪われた大人たちが、このシステムに飲み込まれ、そのエネルギーを吸い取られ、ゾンビとなって、システムを動かすために作動している。
その様子を描いているんだと思います。
それゆえ私たちは、あの作品、あの映像を見ると、惹きつけられてしまいます。
子どもを守りましょう。
マイケル・ジャクソンは、このことを何十億という人々に、訴えました。
その音楽を楽しみ、そしてその映像を見て、そのダンスに惹きつけられるのは、その中に本当のメッセージが含まれているからです。
私は、そのマイケルの作品に触れることで、自分自身の中にある痛みに気付きました。
「Heal The World」「Save Our Children」。

私は、れいわ新選組、山本太郎さんの作ったれいわ新選組から比例区に立候補している、やすとみ歩です。

「Save Our Children」「Heal The World」。
私たちがやらないといけない事は、この偉大な芸術家によって示されたと思います。

(ここで「Thriller」フラッシュモブ)


私は、山本太郎さんの作ったれいわ新選組、比例区候補、やすとみ歩です。

何事も、許可がいるのがこの国です。
何をやっている時も、許可を取れと言います。
例えそれが法律に違反していなくても、許可を取れ、誰の許可を取ったんだと、すぐに横槍が入ります。
しかし、イギリスのBanksyという芸術家は、彼の名前を、ブリストルという彼の出身地の小学生が自分たちの新しい校舎に付けてくれた時に、その校舎に絵を描きました。
そしてその絵とともに添えられた手紙にこう書いてありました。
「どうか、許可を取るよりも、許しを請う方が常に簡単であることを、覚えておいてください。愛を込めて Banksy」と書いてありました。
これは、私はとても大事なことだと思っています。
この社会は、許可でがんじがらめにして、私たちがどこにも行けないようにしている。
しかしそれは、私たちが意気地なしだから縛られるのであって、Banksyのような勇気を持てば、そこから自由になれます。
やりたいことをやりましょう。
意味があると思うことをやりましょう。
意味がないと思うことは、やってはいけません。
どうぞ、許可に怯えないでください。
どうぞ、正しいと思うことは、やりましょう。
そして、それが誰かの心を傷つけたり、何かのルールに触れたのであれば、謝りましょう。
私たちは、自由であることが課せられています。
私たちが許可の海の中に溺れてしまえば、私たちは世界の破壊に加担することになります。

私は、れいわ新選組から、比例区に立候補している、やすとみ歩です。

東京大学ではつい最近、宇佐美圭司という偉大な画家の代表作が破棄されました。
それは、東京大学の中央食堂に、東京大学が発注して描かれ飾られていたのですが、中央食堂を改装するときに、大きすぎてそれを出せないということで、破棄してしまいました。
その間、設計事務所や工事の担当者からも「本当にいいんですか?」と何度も問い合わせがあったのですが、何度かの生協とのやりとりの結果、本当にいいからやってくれ、ということで破棄されてしまいました。
文化や芸術を守ることが大学の役割であるにも関わらず、大学が自らその貴重な芸術作品を破棄するというこの不祥事がなぜ起きたのでしょう。
それは人々が、許可を取り、それに応じて行動する、決まった事は仕方がないからやるという、そういう行動パターンが染み込んでいたからです。
権限がないことはやりたくない、意味のないことであっても権限のあることの範囲内で、許されてる範囲内で物事を解決しようとすると、こういう転倒が発生します。
これは芸術作品だけのことではありません。
人間の命もまたそうです。
私たちは、仕方がない、許可が取れない、そういう理由で、多くの命を踏みにじりながら生きています。
命を守りましょう。
子どもを守りましょう。
そのためには、許可やルールは関係ありません。
正しいと信じることをして、牢に繋がれるのであれば、それはそれで構わないではないですか。
私たちは、単に生きているのではありません。
私たちは、善く生きようとしています。
善く生きるというのは何なのか。
それは私は、子どもを守るということ、命を守るということ、その原理だと思います。
どうぞ皆さん、許可を取るのをやめてください。
自分で判断し、正しいとそれを信じれば、やりましょう。
それが、この国を守ることです。

私たちは、機能的全体主義の国に生きています。
これは、サン・テグジュペリ、『星の王子様』を書いたあの作家が、北アフリカの基地から、ある将軍に向かって書いた手紙の一節です。
彼はこう言っています。
「ドイツの全体主義との戦いが終わった後に、本当に暗い時代がやってくる。その時代は機能的全体主義の時代だ。」
「私たちは、手足をへし折られた上で、どこにでも行く自由を与えられているんだ。」と彼は書きました。
私たちは、許可に怯え、決まりに怯え、人にとやかく言われるのに怯え、それに自分を合わせて生きようとし、子どもたちをその箱の中に押し込めようとしています。
それが、私たちの社会の暴力の根源です。
それが、私たちの社会の弱い人たちを抑圧し、私たちの外の国の弱い社会の人々を抑圧し、自然環境を破壊してしまっています。
その巨大な、大きな石臼を、一生懸命押すのはやめましょう。
ガレー船を漕いではいけません。
そのガレー船を漕ぐオールを放してください。
そして目の前にいる子どもたちを守りましょう。
それが、マイケル・ジャクソンが訴えたことだと、私は考えています。

彼は「Jam」という作品を作りました。
それは、「詰まる」という意味です。
詰まるというのは、歯車の中にパチンコ玉が詰まったことを、Jamと言うのです。
スムーズに動く、チャップリンの『モダン・タイムス』の歯車の中を動いていく人間のようにならない。
その中で、子どもを守ろう、自分自身の心に従って生きることで、歯車に詰まることが、Jamです。
マイケルは、Jamするように呼びかけました。
私たちは、スムーズな機械となって、この国の、この街の、お金と車を回し続けています。
そして今私たちは一歩一歩、最期の瞬間に向かって進んでいっています。

つい最近、安倍晋三の大好きなトランプ大統領が、有志連合への参加を呼びかけてきました。
この参院選が自民党の勝利で終われば、間違いなく、自衛隊は派兵されるでしょう。
それは確実に、本物の戦争に、自衛隊を追い込むでしょう。
そして私たちは、憲法の改正、9条の改正を迫られます。
止められるのは、この一週間です。
このまま、自動的に走り続ける石臼に巻き込まれ、その棒を押し続けて、子どもたちもろとも、戦争の中に飛び込んでいくのか。
それとも、私たちが、新しい未来を切り開くのか。
非常に危険な瞬間が迫っています。
どうぞ、何も考えずに流れていくのはやめてください。
どうぞ、立ち止まって考えてください。
どうぞ、歯車となって動き続けるのはやめてください。
パチンコ玉となってその歯車に身を投げ出しましょう。
それはつまり、休むということです。止まるということです。
何かをするのではありません。何かをつかまえるのではありません。
手を放しましょう。止まりましょう。
それが、Jamするということです。
それが、子どもを守るということです。

私は、山本太郎さんが作った、れいわ新選組、比例区から立候補している、やすとみ歩です。


こんにちは。私は、山本太郎さんが作ったれいわ新選組から、比例区で立候補している、やすとみ歩です。

私は、この選挙を通じて、子どもを守るということを、政治の原理にしてほしいと、政治の原理にしましょう。いや政治だけではありません。
私たちの生活の全てが、政治性を帯びています。
子どもに学校に行けと言うこと、会社に遅れずに行くということ、広告に従って商品を購入するということ、いろんな行為が政治性を帯びています。
その日々の政治的行動の積み重ねが、私たちの社会を作っています。
政治から自由になれる人はいません。
政治に関わらない、政治なんか興味がない、という発言ほど、政治性を帯びた表現はありません。
それは、このシステムに我が身を捧げるという、信仰告白に過ぎないんです。
政治について考えましょう。
私たちの日々の生活は、政治から自由ではあり得ません。
一つの将棋の駒となって、しかもそれを動かすのは人間ではなく、システムです。
巨大な、誰がどこで何をしているのか全くわからない、システムです。
どの政治家に聞いても、どの官僚に聞いても、それは私の担当ではありません、そういうシステムです。
カフカという作家が『城』という作品で書いたように、その巨大な城に近づくことすら出来ないんです。
それは、私たち一般の人が近づけないだけではありません。
私のような東京大学の教授ですら、そのシステムには、一歩も近づくことは出来ません。
たとえ私が参議院議員になったとしても、そのシステムには、一歩も近づけないんです。
その恐ろしいシステムが、私たちの社会を作動させているのであり、安倍さんや菅さんは、九官鳥みたいなものです。
その九官鳥に腹を立てても、しょうがありません。
私たちが挑まないといけないのは、システムそのものです。
システムの作動を止めるのは簡単です。
なぜなら、そのシステムに薪をくべているのは、私たちひとりひとりの日常生活だからです。
日常生活を変えましょう。
忙しくて休みが足らない方は、明日、有給休暇を取ってください。
勝手に休みましょう。
勝手に抜け出して選挙に行きましょう。
勝手に抜け出してフラッシュモブをやりましょう。
許可を取らずに、楽しみましょう。
私たちは自由でなければなりません。
それは、倫理的な宿命です。
私たちが、私たちの自由を放棄したとき、その目の前にあるオールを漕いでいる間、私たちは世界の暴力に加担しているんです。
子どもたちを破壊し、弱い国の人々たちを破壊し、地球環境を破壊する、悪辣な行為に参加していることになります。
その手を放しましょう。
それが「Jam」する、ということです。
「Heal The World」「Save Our Children」。
それは、私たちがこれからの時代を切り開いていくための、最も重要な政治的理念に他ならないと、私は考えます。

私は、山本太郎さんが作ったれいわ新選組から、比例区で立候補している、やすとみ歩です。ありがとうございました。

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