『誤った歴史観をチェンジしたい。』今川さんの涙の訳。そして全くゆるく無い今川さんの熱い想い。

写真の真ん中の今川さんの涙。

この訳をご存知だろうか?

今川さんの熱い想いがそこに込められていた。

今川さんが所属しているNPO法人の鈴木理事長から詳しく話しを伺った。

今川さんが誕生したのが2015年6月30日。

2014年暮れに鈴木理事長がクリエーター仲間に、既に盛り上がっていた

浜松市の家康くんに対抗するべく、今川義元のゆるキャラを誕生させるアイデアを持ち掛けた。

仲間たちが『それは面白いね。』ということになり、今川さん誕生に向けての歩みが始まった。

今川さんは戦国武将の今川義元自身がモチーフ。

雑誌編集者である鈴木理事長自身やゲームクリエーターなどの仲間から、

あるイラストレーターにデザインを頼もうという共通意見が持ち上がった。

その方は、今流行の歴女の市内在住のイラストレーター。

小学、中学時代に今川義元を自由研究の題材にする程の歴女っぷりだった。

直ぐにOKを得てクリエーター仲間6人で今川さんプロジェクトを開始した。

まず壁となったのが資金調達。

ゆるキャラの着ぐるみ(変身誕生費用)が、一体100万円掛かる。

まずそのためにNPO法人を立ち上げて、これも今流行のクラウドファンディングで資金調達を始めた。

インターネットに馴染みのない高齢者の方は、直接寄付を届けてくれた。

合計130万円が集まりそこにはメッセージも一緒に届けられた。

『よくぞやってくれた。』

この資金調達をしていて、実は今川義元のファンが静岡市内に多いことを、

鈴木理事長自身も実感することになる。

今川義元ファンが隠れキリシタン状態だったのだ。


この原因として、今川義元に対する誤った歴史認識が世間にある。

『バカ殿様だったのではないか⁉』

『白塗り、お歯黒のイメージ。』

『桶狭間の戦いでは、宴会をやっていたから負けたのだ』などなど。

しかし、鈴木理事長の語り部のような実に深い話しを聴いて、そして

色々と調べて行くうちに今川義元がいかに優秀な武将であったかということ

を実感することになる。

ここから少し歴史の世界にタイムトリップする。

来年が今川義元生誕500年に当たる。

静岡市では来年の5月に500年祭のメインイベントを予定している。

この500年祭に向けて静岡市では500年祭推進委員会が設置された。

この委員長に戦国時代の歴史学者の第一人者とも言うべき静岡大学名誉教授

小和田哲男氏が就任した。

今川さんはというと、500年祭の広報大使にも先日任命された。

www.at-s.com/news/article/local/central/577502.html

今川さんの誤った歴史観を変える、今川義元が優秀な武将だった根拠。

今川家は230年間、現在の静岡市を治めていた。

その後を徳川家が250年に渡って治めた。

桶狭間の戦いで残念ながら織田信長軍に敗れることになるが、なぜ敗れたかについては、今も研究が続いている。

雷雨で休憩していたところに奇襲を受けた。

また、今川軍は兵を分散させていたが、織田信長は義元の本陣に兵を集中させて義元自身を狙った。

義元は輿(こし)に乗っていたため、普通は分からないはずが、すぐに居場所を突き止められてしまったなど諸説ある。

しかし今でいう法律の制定を行ったことや制圧した土地の面積から考えても優秀だったことが伺える。

そして今川家はあの足利家から分家している。

足利氏の血を受け継いでいるのだ。

その関係で義元は幼少の時代から京都の人達とも交流があった。

田舎侍から、のし上がった武将とは、血筋が違っていた。

そのために白塗り、お歯黒をしていたのだ。高貴の象徴。

輿に乗っていたのも、位が高いということをアピールするためだった。

今川義元は当時人質として今川家に来ていた、幼少の竹千代(後の徳川家康)に、当時の最高の教育を施した。

人質といっても虐められるというようなことは無かった。

家康の優秀さを、父のように年の離れていた義元が、見抜いていたと思われる。

将来は自分の有能な家臣になって欲しいと思っていたに違いない。


竹千代と義元の息子氏真(うじざね)は青年期まで一緒に過ごした。

桶狭間の戦いでも、家康は今川軍の一員として出陣している。

今川義元が首を取られたことで、今川家はどんどん衰退していき、

他の軍に領地を攻め込まれることになっていった。

最後掛川城に逃げ込んだ氏真に城を明け渡させ降伏させたのも家康だった。

氏真はその後武将を止めて、歌を詠む文化人に転身する。

家康は氏真が幼いころから京都の人達と接していたことを知っていたため

江戸に幕府があっても、当時天皇が住んでいて、決して疎かに出来ない京都

との窓口になるような役割を氏真に与えた。

江戸を氏真が行き来している姿もあった。

そして今川家は、高家として江戸の幕末まで続いていった。

間違った歴史認識。そして首を取られた無念さ。


これが今川さんの涙の訳。


今川さんは、メッセージ性が強いゆるキャラだ。

商店街のPRのために誕生した訳でも無い。

正しい今川義元の姿を知って欲しい。そして市を活性化したい。

正しい認識がされることで、今川義元が生粋の静岡生まれ静岡育ちの武将だということを、静岡市民が胸を張って言えるような環境にしたい。

こんな壮大な熱い想いがある。


ちなみに徳川家康は愛知県の岡崎市の生まれだ。

ゆるキャラを取材することで、まさか戦国時代の歴史を学ぶことになるとは、正直思っても見なかった。

今川さんに立ちはだかる壁が、資金繰り。


NPO法人の理事の皆さんも無報酬だ。

ゆるキャラを始めた当初は、グッズの売り上げでひと儲け出来るかも知れないと思ったそうだが、苦労が多く全く儲からないと鈴木理事長。

しかし今川くんが各地に登場することで、子供達も年配の皆さんも喜んでくれる。

全国各地の今川義元ファンの皆さんにも、喜びを与えられる。

静岡市の今川義元の菩提寺でもある、臨済寺の年二回の一般公開の際には、

今でも、多くの今川ファンが全国各地から集まって来る。

クリエーターの皆さんが、この歩みを止めるつもりは無い。

ホームページ上では今川さんを応援してくれる会員を募集している。

正会員の年会費24.000円。賛助会員の年会費3.000円。

正会員にはNPO法人の総会の議決権が与えられる。

そして正会員には、今川さんを一日呼べる券が付いて来る。

子供達のお誕生会や会社のクリスマスパーティなどに呼ぶことが出来る。

現在の会員数は50名ほど。

今川さんの半日の出張費が3万円(4時間程度)、1日だと5万円(8時間程度)

賛助会員になった方がお得だねという地元の企業も多いそうだ。

2019年は甲府でも開府500年を記念したイベントが行われる。

小田原市では北条早雲没後500年のイベントが開催される。

当時、今川義元の呼びかけで、甲府(甲斐国)小田原(相模国)静岡(駿河国)で、甲相駿三国同盟が組まれていた。

今、よみがえった、平成の三国同盟として、既にプレイベントでもこの三つの市が、お互い交流し合いながらイベントを進めている。

そして今川さんは、同じ県内のイベントで良く顔を合わせる家康くん。

桶狭間の古戦場まつりに毎年足を運んで交流を続けている、その地域の

ゆるキャラおけわんことの絆も大事にしていく。

予算の関係で全国各地を回れないことが、現在の悩みではある。

実に深いゆるキャラの世界。


全くゆるく無い、、ゆるキャラも存在した。


ますますこの世界に、どっぷりとハマって来た(笑)


次は信玄くん、そしてふっかちゃん、さのまると取材は続く。。。










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