懸念点 日記

なんか日記にタイトルみたいのをつけるのを真似している。

やめて嘘はあなたらしくないよ
目を見てこれからのことを話そう
私覚悟してる

「God knows…」

突然なんですが、この歌詞がもし自分に向けられたら、ちょっと怖いというか、冗談がウケすぎて不安になる、なんならウケが弱まるまで何回も言わされるときみたいな 不安がありませんか?

この曲は「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品の劇中歌であるGod knows...で、私は原作を見ておらず、この曲単体でしか知らない状態なので この曲の前後関係を理解しておらず、全然杞憂の可能性があります。批判を避けたいので断言しますが杞憂かつ妄言です。

ただそれでも、この歌詞はなんか不安です。この曲はとても好きなんですが、本当に。
この歌詞での「あなた」という存在が嘘をつく という行為からかけ離れていたとしても、実際に嘘をついてしまったとき、 (恐らく)「あなた」に信頼を寄せている「私」が発する言葉が

やめて嘘はあなたらしくないよ
目を見てこれからのことを話そう
私覚悟してる

「God knows」

これだったら なんか なんかもう駄目とかでもなくないですか? もう三文全てが怖いです。

挫けそう、だったり もう挫けてしまった人に
「やめて嘘はあなたらしくないよ」
「目を見てこれからのことを話そう」
は人を再起させる言葉にしては重いパンチじゃないですか?「私覚悟してる」まで言われたらもうリングのコーナーまで追い詰められていませんか? 全員敵?ってなると思う。


すごい前に読んだ評論のようなもので、転んでけがをして泣いてしまった子への対応として、子どもと痛みに共感して一緒になって泣くという慰め方が「陰」、そんな痛みで泣くな!と叱り飛ばす慰め方は「陽」として取り上げられていた。

この歌詞は「陽」の極みたいなもののように私には思えて、なんか行き過ぎたマッチョイズムを聞かされたときみたいな(あくまで 〜みたいな、)居心地の悪さを感じてしまう。


すみません、話を変えます。God knows...の話は終わりです。良い曲です。

以前同級生の間でメンズコーチのジョージが流行っていた。同級生たちは彼をネットミームのひとつとして、流行ったから という理由で楽しんでいたのですが、「ジョージの主張にも一理ある」という同級生の一人の意見には、多くの人が同意していた。

ジョージの主張の真偽は 私には分からないけれど、 ジェンダーを男性としている人間が、生きるうえで周囲に男らしさを求められていることを実感しているのは ある 気がする。

その 男らしさを求められること が悪いことでもない気がする。分からない。
私の周りには表立ってジェンダーレス たとえば女性らしい男性、その逆(逆?) を馬鹿にする人はいないし、その人に男らしさを要求することはない。
でも男らしくない(セックス・ジェンダー共に)男性は、社会に、あるいは自分自身に男性らしさを求められる機会はあると思う。その男らしさ という制限は今はずっと緩くなったけれど、確かに存在する。
文化 としての性は生物としての性に縛られる必要はないけれど、完全に逃れることができるのか と思う。逃れる?性別としての性に従う?ことが悪いことみたいだ。

女性と接するときに女性らしさを、男性と接するときには男性らしさを無意識に求めることは、自然というか、処理を楽にするために類型を見出すことは性差に関わらず大抵 行っていて、それが性別という広く共通するから じゃないのか、どうなんだ。

頭が良い人もいれば 悪い人もいて、別に頭が悪いこと=その人が悪いことではないし、
性格の良い・悪いも、その基準も、当人の勝手だと思う。
男性的・女性的要素の欠如も同じことだと思うが、たとえばある職業に就くには現実ではある程度の頭の良さという設定された基準を満たすこと が求められるように、複数人の組織、社会では当人の勝手で済まないことが多々ある。このような場合、頭の悪い人、男性的・女性的要素が欠如している人 などは劣等感を感じたり、求められているそれを得ようと努力したりする。私は、本当に(ほんとうに)私やあなたたちに自由に生きてほしい。やむを得なければ殺してもいいし、殺したくても殺したくないなら殺すべきではない。常にあなたの心や、あなたの心が従うものに従ってほしい のだが、あまり現実的ではない。社会は私やあなたたちが勝手に集合しているものらしい。それは本当ですか。なにか証拠はありますか。どうなんだ。さようなら。

本当に わからない

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