日記・ポチ・歌集

短歌の本を読んでいる。去年の10月あたりに買った本だ。最近になって読んだのもあるけれど、一気に読むことができなくて何度もはじめから読み直しているのも原因でいまだに読み終えていない。なんだかターゲット1900を使っていたときみたい。 みたいだ。

読んでいる本は岡野大嗣(さん)の「音楽」という歌集。読み終えてもないのに感想っぽいことを書くのはどうかと思うけど、書く。短歌には詳しくないし、変なことを言っているかもしれない。

題名のとおり音楽に関係すること・情景がモチーフとなった(だろう)短歌が多い。生活と結びついた音楽、そういった印象。ライブハウスの高揚よりも、(もちろんそっちも描いているのだけれど)その帰路だとか、余韻っていうのかな、非日常さだけに焦点を当てていない。

音楽のたとえが沢山あって、詳しかったらもっとリアルに楽しめるんだろうな、という感はある。
(私が)あるあるに置いていかれている気がする。

「音楽」に載っている短歌に私は驚きや新鮮さを感じるのに、突き放されている感覚はない。逃げずに(何から?)日常に沿った短歌を、しかもそれらをあるあるで済まさない迫力、真摯さみたいなものがある。多分。


今日は授業で人と喋る機会が与えられた。初対面なのである程度無難に話す。コミュニケーションは苦手だけどそれは気持ちの話で、しなければいけないときには結局はしなければいけない。大学に入学するっていうのはそういうことだから。コミュニケーションについて極端なことを言えば、相手を不快にさせなければいいわけで、ある程度はこなすことができた。ただ疲れる。愛想笑いとかも含まれるから。愛想笑いをしているのは他ならない私で、別に気に入られたいわけではないけど邪険にされたりするのは鼻持ちならないっていう我儘でやってるわけだからそこは飲み込んでいる。つっかえながら。

本当の自分 というのは理想の話で、人は環境や相手によってさまざまな一面を使い分ける。という思考が何十遍もループする。ループしている。この考え方はすごい合理的で正しくて、初対面の人と話すときの気に入らない自分は正真正銘の自分そのものだって受け止めなければいけない。

林檎の皮を剥くみたいなコミュニケーションだ。って思う。決して社交性を馬鹿にしているわけじゃない。じゃないって、批判されないために言う。そういう一面がある。
本当の自分 というのは理想の話で、人は環境や相手によってさまざまな一面を使い分ける。
ループする。 さようなら。

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