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日本初のゲーム雑誌は「ファミコン通信」だった

1986年6月6日に「ファミコン通信」の創刊号が発売されました。

「ファミコン通信」は現在の「週刊ファミ通」のことで、
1995年までは「ファミコン通信」が正式名称でした。

この「ファミコン通信」ですが、
実は日本初のゲーム雑誌だったことを
皆さんはご存じだったでしょうか?

カプコンクラシックスコレクション』(2006 PS2)
の解説書の「稼働(発売)月別タイトル一覧表」に
「日本初のゲーム雑誌「ファミコン通信」(アスキー)が創刊される。」
とあり、
あのカプコンさんの情報なので、
まず間違いはないことでしょう。

「ファミコン通信」が創刊される前の
1986年4月14日に発売された
謎の村雨城』(1986 FCDS)の説明書に
「このゲームのヒントは、
 1986年5月2日以降に発売される徳間書店発行の
 「ファミリーコンピュータMagazine」誌上で、
 順次発表していく予定です。」
とあるので、
きっとこの「ファミリコンピュータMagazine」は
1986年6月6日以降に創刊されたゲーム雑誌なのでしょう。

もう少しさかのぼると、
1986年2月21日に発売された
ゼルダの伝説』(1986 FCDS)の説明書に
「このゲームのヒントは、
 1986年4月以降に発売される徳間書店発行の
 「ファミリーコンピュータMagazine」誌上で、
 順次発表していく予定です。」
とあるので、
きっとこの「ファミリコンピュータMagazine」は遅れに遅れて、
「ファミコン通信」が創刊された後で創刊されたに違いありません。

1986年7月30日に発売された
涙の倉庫番スペシャル』(1986 FCDS)の説明書に
「ゲームのヒントは
 「ファミコン通信」「ファミリーコンピュータMagazine」
 をごらんください。」
という表記があるため、
この時期にライバル誌が無事創刊されたということなのでしょう。

1986年12月25日に発売された
プロフェッショナル麻雀悟空』(1986 FCDS)
でも同様の表記がありました。

1987年3月27日に発売された
オトッキー』(1987 FCDS)には、
「ヒントは、
 「ファミコン通信」「ファミリーコンピュータマガジン」などを、
 ごらんください。」
とあり、
2誌以外のゲーム雑誌も存在していることがうっすらと伝えられます。

そして、
1987年6月27日発売の
北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(1987 FC)
の説明書を見ると、
「どうしてもわからない人は、
 隔週誌『ファミコン通信』(アスキー発行)をごらんください。」
とあり、
「ファミコン通信」が唯一のゲーム雑誌のように
印象付けられています。

さらにこの時代のゲーム雑誌について調べてみようと思ったのですが、
「ファミコン通信」創刊以降に発売された、
メトロイド』(1986 FCDS)のような
任天堂のディスクシステムの両面タイトルの説明書から
ゼルダの伝説』や『謎の村雨城』の説明書に記載されていたような
ヒント関係の記述が消えてしまっているので、
「ファミコン通信」以前に創刊されたゲーム雑誌が
あったなんてことを言おうものなら、
きっと消されてしまうに違い…あり……ま……


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