アメリカで 日本酒ぜんぜん 流行ってない【今日の一句】

えらい人たちに怒られてしまうのかもしれない、と思って、いままで書かなかったことがある。米国ロサンゼルスに来て約10ヵ月になるけれど、そろそろいいかぁ、と思うようになってきた。自分が嫌われることよりももっと大切なことがあるんじゃあないか、とも、これくらいで嫌われるならそれはそれで自分以外のものがやばいんじゃないか、とも。

怒られそうなこと、ひとつ目。


アメリカで日本酒はぜんぜん流行っていない。


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確かにアメリカの日本酒輸入量は年々ぐんぐんと伸びており、消費量は10年前の3倍にもなった、それは知っている。

でも、あえて極端な言い方をしてみる。

少なくとも、アメリカのカリフォルニア州で日本酒はぜんぜん流行っていない。米国内一の日本食レストラン数を抱える都市・ロサンゼルスを擁するカリフォルニア州でさえ、だ。

アメリカの人たちが“sake”だと思っているのは、“Big 4”と呼ばれるOzeki、Takara、Yaegaki、Gekkeikanであり(JETROによれば、これらアメリカ産ブランドが、国内の日本酒シェアの8割を占めるとか)、「オレは国産の日本酒なんか置かない、こだわりの輸入ブランドを扱っている」という“リトルオーサカ”ことSawtelle Boulevardのリカーストアでようやく「Dassai」や「Hakkaisan」が見つかるかも、くらい。

日本にいたとき、いま日本酒は海外にどんどん進出しているぞ、というような話を聞いていたけれど、10ヵ月ほどこの地で暮らしながら、なんかもしかして別に日本酒って流行ってないんじゃないか、と思っていた。

そんな気持ちを抱えて、夏にクラス(UCLAでジャーナリズムを勉強しています)の課題で、アメリカで日本酒流行ってるってどこが⁉︎というリポートを書いた。

そして今年の3月に、酒ジャーナリストの葉石かおりさんが、「SAKEブーム…海外で日本酒が人気って本当?」 という記事にて、「『海外で日本酒が人気』と言われるのは、一部の大都市に限ったことだろう」と書かれている。

うーん、やっぱり、日本酒、別に流行ってないんじゃないか。

そんな嫌な予感に苛まれながら(なにせ、アメリカは日本酒にまつわるデータ、みたいなものがない)、ロサンゼルスで日本酒をはじめとした酒類のブランドマーケティングを行っているとある女性に尋ねてみた。

わたし「日本酒、アメリカでぜんぜん流行ってなくないですか」

女性「そうですね、ぜんぜん流行ってないですね」


やっぱり流行ってないんか〜〜〜い!!!!!


その方曰く。

たとえば、アメリカに自蔵の商品を広めようとして、「◯◯貿易」と名前のつく大手食品輸入会社のリストに載るようこぎつけたとしても、Distributor(現地の顧客と結びつけてくれる卸売業)がそれを販売店や飲食店に置く、というところまでたどり着けるとは限らない。

企業向けのイベントで、アメリカでもファンを持つ有名蔵のブースに挟まれながら、「で、この日本酒は隣のブースとどう違うの?」と詰められることもある。

サンプルを飲んで酔っ払ったDistributorが契約書にサインをしてくれたと思ったら、それ以降いつまで経っても連絡が来ず、ようやく問い合わせてみたらまったく覚えていなかったり。

そんな苦労を乗り越えて、ようやくスーパーや酒販店での売り場を確保したとしても、売り場の担当者が変わってしまったらあっという間にフリダシに戻る、なんていうこともあるそう(しかも、担当者はしょっちゅう変わるそう)。

ちなみに、これはわたし個人の体験だけれど、たとえ売り場をキープできたとしても、日本酒のクオリティをきちんと保ってくれる酒販店はとても少ない。Bevmo!やNijiya、Bristol Farmで購入した地酒は、ほぼほぼ老ねていた。

※ 老ねる……お酒の味が、とってもわかりやすく落ちること。「ひねる」と読みます。( ちなみに、わたしは老ねてしまったお酒をおいしく飲む方法もレクチャーしているのですが、その話はまた今度!)

その女性は、「自蔵の日本酒の魅力を30秒でアピールできるようにならなければならない」とおっしゃった。

極端な提案に聞こえるかもしれないけれど、そうとも言い切れない。たとえば、彼女がやりとりをしている輸入会社には約300種の日本酒があるという。アメリカの人々は、その違いを楽しむ、というステージに達していないので、その中から「ウチの日本酒はこんな風におもしろい」ということをアピールしなければならないワケだ。

海外進出を意識し、英語の勉強に熱心な蔵の人たちも増えているけれど、日本と同じようなセールスをやっていては通用しない。たとえば、「この酒蔵は明治時代から続く歴史ある蔵で……」とか、「日本の広島県という地域の……」とか話しても、チンプンカンプン、という顔をされてしまう。

「アメリカで売れるもの」は、どういうものなのか。アメリカで勝負をするなら、それをもっと理解しなければならない。


たとえば。

とあるアニメグッズ販売店が、アメリカでアニメが流行っているから、と、ロサンゼルスにやってきたが、失敗して、退却してしまった。

彼らは、アニメキャラをプリントした“下敷き”を売っていたという。アメリカ人は、下敷きを使わない。日本のようなノート文化ではなく、ルーズリーフ+バインダー文化だからだ。

かなりさくっとした例ではあるけれど、日本で売れるものと、アメリカで売れるものは根本的に違うということだ。海外でマーケティングをしようと思えば、とうぜん、その場所の文化を知ることが必要になってくる。


逆に。

たとえば日本人の中には、「アメリカ人はあんこが苦手なんでしょう」と思っている人は多い。

ところがいま、ロサンゼルスにあるとある今川焼き屋では、アメリカ人が長蛇の列を作る。

聞きかじりの情報ではなく、リアルタイムの、生の情報が必要だということだ。

(あとは、「日本酒のボトルってダサいよね」問題もある。長くなってしまうので、これについては、また別の記事で書きます……)

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ここまで来て、逆に、「いったい、日本でファンに愛されている “日本酒”ってなんなのだろうか」ということを考えてしまう。

企業向けのイベントで、複数の日本酒のブースが並んでいたときに、隣のブースのお酒と比べて自分のお酒はこれが素晴らしいですよ、とアピールするときに、わたしたちが胸を打たれる物語って、いったいなんなのだろうか。


わたしは本当に、お酒が大好きだ。

唎酒師の資格を修得したのは、この世で心から愛していると言えるものが、お酒しかない、と思ったからだし。

お酒に教えられたことはたくさんあるし、お酒に叱られたことも、お酒に救われたことも何度もある。お酒を通して、数え切れないほどの大好きな人たちに出会ってきた。

あれこれまどろっこしい知識を学ぶのは、全部全部、お酒をおいしく飲みたいからだし、この素晴らしさを誰かに伝えたいからだし、日本酒業界で働く自分の大好きな人たちを助けたいからだ。

日本酒を愛しているからこそ言うけれど、「日本酒の未来を考える」ってどういうことなんだろうか。

こういう、「売り手」視点の記事をパブリックに書くのは初めてのこと。

わたしは基本的に、自分のブログ(新しいほう / 旧いほう) には、「飲み手」視点の記事しか書かないようにしてきた。

なぜなら。

売り手都合の、“いまの日本酒事情”みたいな話は、飲み手にとってはぜんぜんおもしろくないし、日本酒をまずくする可能性だってあるからだ。

日本の日本酒コンテンツにはどうしても売り手視点のものが多い。

ある種の、スノッブな日本酒ファンは、素晴らしいお酒の素晴らしさを理解できないのはその飲み手が愚かなのだ、とでも言いたげに、難しいことを言って、日本酒の敷居を上げてゆく。

「なんだか難しそうな飲み物」になってしまった日本酒は、毎晩の食卓に登場するビールのような存在にはなりづらい。せっかく日本酒を好きになりかけていた人に、「わたしなんてよく理解していない人間が、日本酒について語るのはおこがましいのかもしれない」と思わせてしまい、遠ざける。

それは、日本酒を飲む人の数を減らす。

ターゲットを狭める、ニッチな層にアプローチする、というのはもちろんひとつの戦略としてはアリだけれど、すべての蔵元がそれを目指しているわけではないんじゃあないか。

(ちなみに、「飲み手」の視点を考えた日本酒本、というので作らせていただいたのが、四谷三丁目の日本酒専門店「鎮守の森」竹口敏樹さん監修の『もっと好きになる 日本酒選びの教科書』です)

自分が日本酒に感じている魅力っていうのは、ユニバーサルなものではないんだろうか。

じゃあ、わたしが惹きつけられてやまない、日本酒というお酒の、この魅力は、いったいなんなのだろう。それを言語化しなくっちゃ。

そして、アメリカの人たちがそれをおもしろいと思うのだとしたらどういうポイントにおいてなのだろう。それを言語化しなくっちゃ、と、思います。


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はじめて、noteというものを書きました。

第一弾の記事がこんな感じになってしまいましたが、以降は日本酒をおいしく飲むためのTIPSを飲み手視点で書きながら、たまーにこういう話もしていこうかな〜、と思います(長くなってしまうので割愛しましたが、聞いたお話の半分も書いていないので……)。

お酒を愛する素敵な人々の支援に使えればと思います。もしよろしければ少しでもサポートいただけるとうれしいです。 ※お礼コメントとしてお酒豆知識が表示されます