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自分のコンプレックスが宝物になった話

先日、2年前に亡くなった祖母の誕生日だった。
祖母のことを改めて思い出していると愛が溢れたのでnoteに残そうと思う。



自分とは正反対なばあちゃん


「ばあちゃんがおったら警察なんかいらん」
と言い放つのはわたしのばあちゃん。

近所のトラブルにいの一番に駆けつけて見事に解決してきたり、遠くから虎が歩いてきたんじゃないかと思わせるようなシャツ。休日の朝はアラーム代わりに天童よしみの演歌を大音量でかけてくる。

まさに大阪のおばちゃん(大阪出身ではないのだが)を体現したような人だ。
一言でいうと、インパクトありまくりのスーパーばあちゃん

そんなばあちゃんが余命半年と宣告されて、まるで最初から決まっていたかのように半年後に死んだ。

母親代わりだったばあちゃん


両親が離婚してからずっと一緒に住んでいて、わたしにとっては、ほとんど母親代わりだった。
反抗期真っ只中のときは何回も大喧嘩をした。
いうことを聞かないと竹刀がでてきたし、もう終盤というところまで集めていた漫画は捨てられた。
それでも、厳しいけれどダメなことはしっかり叱り、辛い時はいつでも味方でいてくれた。

「あんたのこと大切に思ってるから、好きやから、怒るねんで」とどこまでも寄り添ってくれるばあちゃんがいることが誇りだった。

小さい頃からばあちゃんの料理で育ってきたわたし。
季節の移り変わりはばあちゃんの料理によって彩られていた。
うだるような暑さのなか扇風機をかけて、一緒に飲んだしそジュース。
あたたかいご飯の上に乗せて食べたいかなごの釘煮。
正月になると、つきたてつやつやのやわらかいお餅を一緒に食べた。
料理にはばあちゃんの記憶が散りばめられている。
季節が変わるごとに、ああ、また食べたいなと思わせるのだから
スーパーばあちゃんはわたしの味覚のなかにもまだ住んでいるみたいだ。

そんなばあちゃんが入院した


・そんなばあちゃんががんになり、余命半年と宣告されたのだ。
あんな元気だった人がこんなにもすぐに別れがくるなんて、正直信じられなかった。
余命なんて目安でほとんどの人はそれ以上生きるでしょと鷹を括っていたのだ。

・延命治療はしなかったのでしばらく自宅で療養してから、緩和ケア病棟に入った。
・そこからは残りの時間をすべて埋めていくみたいに会いに行った。

身体がつらいのに会いにいくと必ず用意してくれているおやつを食べながら話をする。
付き添ってくれていた看護師さんに「孫はわたしが育ててん。」と誇らしそうにいう姿が嬉しかった。

惜しむように、大切に短い時間を過ごしてまた来週と必ず伝えて別れる。
ばあちゃんは本当は歩くのも辛いのにいつも最後は見えなくなる病室の入り口から見送ってくれた。

それから、きっかり半年後。
母から仕事中に電話が鳴り、急いで会いに行った。
いつも自転車で通っている道が、待たされる信号が永遠のように長く感じて、乱れる前髪も泣きじゃくった顔をジロジロ見られることも一切気にならなかった。
そんなことよりも一刻もはやく辿り着かないともう一生会えない気がした。

まるで計画されていたかのように家族全員が集まったときにばあちゃんは旅立った。
看護師さんが最後の化粧を美容業界で働くわたしに化粧をさせてくれた。

ばあちゃんが大好きだった天童よしみの演歌を口づさみながら眉、口紅とひとつずつ丁寧に仕上げていく。
その表情はどこか優しげで、これまで一緒に過ごした時間を思い出させてくれるような宝物のような時間になった。


自分の一部にばあちゃんを思い出す


あれから2年。

こんなにしっかり思い出せて、まだ寂しいなんて。
まだまだばあちちゃんは記憶のなかにいてくれるのだと感じる。

ふと鏡をみたときに思い出す。
仕草や輪郭、丸くてコンプレックスだった鼻にばあちゃんの面影を見つけて
宝物のように愛おしく思えるのだ。

さみしいという気持ちはばあちゃんが生きていた証だから。
この気持ちを抱えて生きていく。あなたが残してくれた言葉も抱きしめて。

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