宇宙の美:識別力と均衡

選挙で当選し議員になられた重度障害者の方が登院できない問題について考察しました。

社会問題に対処するために国会で議論し制度を整備することが仕事のはずの国会議員が、逆に、自身が抱えている問題を国民に主流メディアを通して訴え情けを乞う状況は、本末転倒しています。

問題の当事者が公共の場で公共の場で代弁者として振る舞うと、公私混同が起こるのではないでしょうか。

代弁者同士が議論するからこそ、公共の制度が機能するわけで、当事者のポジショントークは、制度を歪ませるだけです。つまり混沌が発生します。

もしかして、笑いの神様がアップを始めたのでしょうか?

クララが立った!

初登院でそんなパフォーマンスをして、メロリンキューの芸風を政界でも貫くのでしょうか?
江ノ島にダンス甲子園を見に行って楽しかった思い出が蘇ります。
政(まつりごと)は盛り上がることが正義なのかもしれないですね。

問題とは、混沌を認識することであり、そこに秩序を与えることによって問題解決へと導くことが人としての道義だろうと思うわけです。

混沌とは、均衡が崩壊することです。

識別力を失ったとき、均衡は崩壊します。

均衡を維持するものが秩序です。

この問題に関しては、現実的には、所得から介護費用を控除する、医療費控除の拡大というところで落ち着くのかもしれません。

あるいは、ひょっとすると、議会制民主主義に革命を起こすかもしれません。

直接民主制へと一気にシフトするポテンシャルをこの問題は秘めています。

今後も議会制民主主義を継続させていくコストと、生体認証技術とインターネットの整備によって直接民主制を実現させるコストを秤にかけ、どちらが永続する宇宙の美に適合するのか、ということです。

重度障害者というタグは、政界では人の注意を引き付ける有力な要素になりえます。家柄とか、美貌とか、素潜りが得意とか、トランスジェンダーとか、生物的特質に属する事柄のひとつであり、これらはその力を発揮するシーンが限定されます。
社会的特質である、高学歴、高収入、名誉などは、相対的なもので、価値観を共有する場所ならどこでも通用することが多いですが、生物的特質というのは、本人が生きて存在しているということに力があるわけで、場を選んで有効活用するのは非常に賢いと言えます。

先日辞任した英国のメイ首相はチャタムハウスでの演説で次のように述べています。

国内でも海外でも、その内容についても論調についても、政治の状態を心配しています。(中略)私たちのこれまでのあらゆる成功の基礎となっている価値観は、あって当たり前のものと安心してはなりません。
BBC NEWS JAPAN より

本記事で述べている「均衡」は、みんなが〝あって当たり前だと思っている価値観〟に相応します。

一旦失われると取り返しのつかないことになるということ。

均衡が崩壊するのは、識別力が失われたときです。

日本だけでなく人類に突き付けられている問題なのかもしれません。

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