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私が助産師になろうと思ったワケ

みなさんこんにちは。助産師の柏村です。
今日は、助産師なら年に5回くらい聞かれるこのテーマについてお話ししていきます。
私は発信をしているということもあり、最近本当にたくさん聞いていただけるようになりました。たしかに、しっかりお話ししたことないなーと思い、noteに書くことにしました。

しかし、残念なことにあんまり人に誇らしげに言えるエピソードではない気がするのでインスタなどで大々的にあげずに、そっとここにおさめておきます。笑

もともと産科医になりたかった

私の両親も医療系の職業なんです。なので漠然とですが、自分も医療系に進むのかなとは幼いながらも思っていました。しっかり産婦人科に進みたいなと思ったきっかけは2006年にやっていた”14才の母”というドラマの存在です。世代の方もいらっしゃるかと思うんですが、当時私は中学1年生だったのかな?そのときの私には衝撃的だったんですね。田舎の中学校だったので、そんなませた話もなかったんですよ。学校ではかなり話題になっていて、毎週食い入るようにみてました。
そこに登場する産科医役の高畑淳子さんがすごく素敵で。中学生にもしっかり説明して、出産すると決めた本人を最後までサポートしていて。14才で出産するってどういうことなのか。子どもを育てるってどういうことなのか。14才だけと母として扱うその姿がかっこいいなと感銘を受けました。単純だけど、そこからしっかり産科医を目指し始めた気がします。

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高校での挫折、そして助産師を志す

中学校はすごく勉強頑張ってました。でも、地元で1番の進学校に合格してからは、その高校に入ることが目標だった私は一気に燃え尽きてしまったんですね。高校1年生の夏に医学部を目指す人だけの集まりみたいなのが学校であって、周りのレベルの高さに愕然として、部活も頑張りたかった私はこれ以上勉強を頑張る気力もなく、あっさりと医師への夢を諦めてしまいました。でも医療系には進みたい、産婦人科に携わりたいという思いはあり、自然に助産師について調べるようになっていました。(今思うと非常にダサい)

高校1年生の3月に東日本大地震が起こる

そんなときにあったのが東日本大地震です。私は当時山形県の内陸側に住んでいました。その日は高校の入試のために平日だったんですが、休みだったんですね。友人の家で友人3人とテレビを見ていました。あまりにも長い揺れに驚き、みんなで抱き合って揺れがおさまるのを待ちました。すぐに自宅へ帰りしばらく学校も休みになっていたと思います。そこまで被害はなかったのですが、通信障害と断水、停電はしばらく続いていたような気がします。自分の生活は日常に戻りつつありましたが、メディアで大惨事をずっと追っていました。

”避難所で出産”という記事に釘付けになる

そんなとき、ある新聞に避難所で陣痛がきてしまった方を、その場にたまたまいた助産師が分娩介助したという内容が載ってたんですね。写真もありました。
3月12日の出産だったと思います。内容詳しく覚えていないし、その記事探したんですが見つけられませんでした。唯一、多分のこの人かな?っていう助産師を対象者にしていた論文がありました。

まって菊池先生だ!今気づいた!笑

本当にお産っていつ起こるかわからないから、こういうこともあるよね。助産師ってすごい・・・とその人の記事をもう何回も読んでました。そこから助産師のことたくさん調べてました。それはすごく大学受験の時期にもモチベーションになっていたと思います。

とにかくなるべく早く臨床にでたかった

大卒で助産師になれる最短ルートは、4年制の大学で4年間のうちに助産師になるカリキュラムがある学部に合格すること。現在は助産師教育のカリキュラム自体が見直されているので、大学4年で助産師になることは結構難しくなりました。しかし当時はまだまだ最短ルートの大学があったので、とにかく早く助産師として働きたくて、そういった大学ばかり調べていました。
20代のうちの1年ってすごく貴重だと思ったんです。
そして4年間で助産師までとれる大学に無事合格します。(実はセンター試験で大やらかしをして、浪人するかガチで悩みましたw)燃えていました。入学時。とにかく成績優秀でいようとめちゃくちゃに勉強していました。

・・・と、ここまでは非常に順調だったわけです。知っている方は知っていると思うんですが、なぜか私は助産師になるルートの最長コースである6年をかけて助産師になりました。なぜ最短で臨床現場に出たかった私が最長コースになってしまったか、、、大挫折がありました。それはまだ別の機会にでもお話ししようと思います。

まとめ

今回は私が助産師を目指したきっかけについてお話ししました。学生のころはネットでしか出会えない助産師さんに、いろんなイメージをもっていて勝手に憧れていましたが、いざ助産師になってみると理想とかけ離れているなと思うことも多々あります。それでも今も助産師を続けられているのは、患者さんや同僚の存在ももちろんそうですが、あのとき抱いていた理想の助産師像を今もモチベーションにしていることが大きいです。いつか、私に転機をくれた避難所の助産師さんに会ってみたいです。おわり。

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