見出し画像

迷子の大学4年生は大学院に行くべきか

院試に落ちた。
それでも断ち切れない未練を、果たして追うべきか。


理系なら大学院に行って当然。
そんな環境そんな大学で育った。私も前期教養が終わるまでは自分は大学院に行くものだと思って生きてきた。

進振りが終わって学科が決まった。
望んで決めた学科だった。けれど、工学部という現実世界からの要請を重視する場所を選んだゆえに、履修科目の多くは自分がやりたいこと以外の、現実世界を記述するための物理が想像以上に食い込んできた。
何かが違う。
そう思った。
何かが違う。
だけど代わりに何が欲しいのかはわからなかった。
何かが違う。
事実満たされない心。
自分が居るべき場所は大学ではないのかもしれない。
思えばこの2年秋に後期課程の授業が始まったときが、進路という迷路に人生で初めて迷い込んだ瞬間だったのだろう。

3年生になった。
キャンパスが変わっても、相変わらず何かが違っていた。

もし院に行かずに学部で出るのならば、就活の解禁は3年の3月だ。
ここが自分の進路を決める一つのターニングポイントであることは明白だった。
情報収拾をしなければならないと思い、夏インターンに行くことにした。
大学名のおかげか、一本ESを適当に書いただけでそこそこの会社に行けることになった。
ここでの仕事が楽しければ、もう学部でさっさと大学を出てしまおう。そう思った。

そうして行った大企業のインターンは。
何かが違う。
そう思った。
何かが違う。
なんで私は、誰でも書けるようなエクセルの書類を作っているんだろう。
何かが違う。
理系で、それなりに技術を持っているはずなのに、する仕事がこれなのか。

結局3年の夏に決心をすることはできなかった。

大学院に行くということは、少なくとも2年間は研究に従事するということだ。
何かが違うと思っている学科で、何だかわからぬケンキュウなるものを2年間やってください。
院に行くと自動的に飲まねばならないその条件は、私には「2年間飼い殺しになってください」と言われているように思えた。
しかも、何かが違うと思いながら取っている履修科目がまともに身についているはずがない。
そもそも試験に受かるのだろうかという懸念もあった。

そして何より研究などやったことがない。
それなのに院で研究したいかどうかなんてわかるわけないじゃないか。

私の学科は特殊だった。
卒論配属が院試の出願より後なのだ。つまり研究なるものを経験しないまま院に進むべきか決断しなければいけなかった。
どれだけ文句を言ったところで、私が研究したいかどうかわかった上で院進学を決めるのは不可能だ。

なので、私は一つ基準を決めた。
やりたいと思う分野・科目が3年のうちに学科に見つかれば院に進もう。
研究がなんなのかはわからない。進学した後に馴染めなくてこんなはずじゃなかったと思うかもしれない。
けれど、もしそうなったとしても一度はやりたいと思った自分の気持ちに免じて2年のロスは甘んじて受け入れよう。

そうして、3年の秋を迎えた。
卒業単位を揃えるために取った学科指定の講義で。
初めて何かが違うと思わなかった。

院に進むことを決めた。

4年の夏は講義をほとんど取らずに院試勉強に専念した。
幸いにも単位は卒論以外は全て揃っていたのでそれが可能だった。
内部生にだけ伝わっている18年分の過去問と先輩たちが残した解答をもとに知識を入れた。
知識さえあればなんてことはなかった。学科の勉強が初めて楽しいと思った。

唯一の懸念点としては、求められる専門科目の特色上、院試の問題が大学の定期試験をきちんと積み上げていれば受かるというものではないということだった。
本番の試験と相性が合えば勉強しなくても受かるし、相性が悪ければどんなに勉強しても受からない。
しかも、近年の情報系人気もあり、外部受験者が増えていて相対的に試験が難化していた。
有り余る時間をフルで使い、死ぬ気で勉強した。

そして私は自分の学科の院試を受けて、結果負けた。


私に残された選択肢は二つあった。
卒論を書き卒業して、来年3月に既卒で就職活動をするか。
卒論の代わりに休学してインターンに行って、来年3月に新卒で就職活動をするか。
どちらを選んでも20年3月開始の就活は確定。そして得た内定をセーフティネットとして来年大学院を受け直すことも可能。


私は時を止めることにした。


規模や名声を選ばなければ、自分が楽しいと思えるところに内定をもらうことはおそらく可能だろう。
3年夏に行ったインターンに楽しいと思えなかったのは、技術が必要なところを他企業にアウトソーシングしているところだったからだ。そういうところを避ければいいのだ。
多分仕事は楽しい。
そして多分、私に院に入れる能力はない。

それでも来年出願するか迷っているのは何故なんだろうか。

今の自分は、弱小野球部を引退したばかりの高校3年生みたいなものなんだろう。
環境ゆえに甲子園に憧れて、それでも自分の実力では届かず引退し出場権を失い、高校を出たその後を考えたほうが幸せになれる彼ら。
環境ゆえに院に憧れて、それでも自分の実力では試験をパスできず履歴に傷がつき、大学の外に出ることを考えた方がおそらく幸せになれるだろう私。

大学院の試験について後悔はない。やれる全ての勉強はやった。おそらく今年のあの試験に合格することは、私には不可能だと断言できる。
だが未練はある。当たり前だ。どんな経緯があったとはいえ、一度は本気で目指そうと思ったところだ。

おそらく大学院入試という観点では、私に伸び代はもうない。
仮に来年受かるとしたら、それは試験問題との相性が良かったときだろう。
それでも、仮に来年受かったとしても行くべきなのか。今年と違って、内定という失うものを持っていてもか。今年と違って、研究が楽しくなかったときに失う時間が3年間でもか。


一年遅れてでも大学院に行く。
これは追っていい夢なのか。それとも早く捨て去るべき未練なのか。

止まった時間の中で。
私の迷子はまだまだ続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?