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エン*ゲキ #06即興音楽舞踏劇砂の城のネタバレ感想

「砂の城」大阪公演を観劇した。
舞台作品を見るのはこれが初めてだが、初めて見た今作が最高傑作!!と思っている。


全体の感想として
丘だったり建物の扉なんかを表現している、洞窟のような大きな岩の上に1本の大きな枯れ木が生えている。その前方には砂地と人が座れる位の大きさの岩がある。
それだけのシンプルな舞台装置。
なのに、ダンスによる表現やライトの明かり、あまりに自然なピアノの生演奏によって表現される世界によりチープなものという印象を持たなかった。役者やダンサーの衣装を含め舞台全体がとても幻想的で美しいと思った。

ストーリーを追うだけあればとても簡潔なものだった。
領主アッタロスの娘エウリデュケと結婚した大地主の息子テオが奴隷のレオニダスと肉体関係を持った。それを知ったエウリデュケは父であるアッタロスが亡くなった失意の中、幼馴染である農夫のアデルと関係を持ち、夫婦の関係は破綻した。独りになったテオは自死を選んだ。
一方では、レオニダスが先王の庶子だということが判明し遺言により次代の王に指名された。王位継承権を得るため王太子ゲルギオス、宰相バルツァが企てた陰謀によりレオニダスは翻弄されていく。

バルツァ/升毅
視線の動かしかたが凄いなと思った。日常生活に照らし合わせると明らかに不自然な視線の動きだと思うのに、舞台で見たら役に溶け込んでいて、むしろより一層役を表現している感じがして凄いなと思った。これは演じる時に心を動かす論云々より技術的な事なのかな?視線誘導?これができたらすごく上手く見える気がする。
11/9公演はゲルギオスが良い王になってくれるなら…と心のどこかで思いつつも自分の野望も捨てきれない、というように感じた。11/10公演に比べてどことなく上品な宰相という感じがした。

アデル/鈴木勝吾
歌が、声量が凄かった。特に即興ではない所かな?声の伸びが違って、1回きりの歌じゃないから練度か増しているからなのかと思った(即興部分は11/10公演の歌がすごく好きだった)。台詞もすごく熱い漢だった、イケメン!
幼馴染の2人が結ばれたからこそ、愛しているエウリデュケの思いを尊重したいからこそ身を引いたけれど、テオの裏切りによって気持ちを抑えられなくなったのか。テオのことも大切に思っていて、だからこそ本心を見せてくれない(ようにみえている)テオのことをもどかしく感じていたんだろうな。テオに対して「空っぽで自分がない。嘘をついて偽って、嘘を重ねて自分でも訳が分からないんだろう。」と言うところ、刺さったな。テオに変わってほしい気持ち、これが愛(友情)ゆえの発言なのが伝わってきた!…けれど。諸刃の剣というか、言い放って終わりにするのは危うい言葉ではあるな…と。言葉によって定義されることで、グラデーションを描くように強弱があり曖昧であったものが、急に実体化してしまうような。テオに対して指摘した内容のような要素を持っているとしても、それはその人の一部であって全てではないと思う。演劇のセリフとして、直接ではなくワンクッション置いた状態で聞けたことで冷静に受け取れるようなもの。直接言われたらきついかもしれないが、貴重な言葉であって、素敵な思いが詰まった言葉だと思う。

ゲルギオス/池田純矢
歌声が素敵だった、ずっと聞いていたい。王の貫禄みたいなものが滲み出ていた。即興が破綻せずに演劇として流れができていて凄かった。もう、いちばん本領発揮できて強みが活かせるのが即興なのではないかと思った。
基本的に頑なに身分の違いを重んじていると感じた。王族である自分はこうでなければならないという固定観念があるようにも思った。その辺りにトラウマ的な何かがあるんだろうか…。11/9は感情を抑えつけているような、11/10は少し感情を出して、より身分制度や王族としての拘りのようなものを感じた。レオニダスと話をして、自分の中の何かが変わり最後の演説で身分制度を撤廃する決断をした。11/10のほうがレオニダスの話に説得されていないように思えたけど、11/9より一層「民に道を示すもの」の言葉に前向きな大きな力を感じた。まるで、観客に向かって、演劇を通して何かを伝えようとする迫力のようなものを…。

アッタロス/野島健児
本気で娘が良い暮らしをするために、と思って(思い込んで?)奴隷商をしていたのは解る。でも、娘本人に言うのはある意味で「娘がいたせいで」というニュアンスが出てしまうためどうかと思った。曽祖父の代から続いてるなら、既に家業であって娘がいなくてもやってただろうと思うが。

エウリデュケ/夏川アサ
自分の中で結婚とはこうあるべき、という理想が強くあるのだろうなと思った。一見アデルとのほうが気が合って、相性が良いようにみえる。でも、エウリデュケが好きになったのは本心を隠していると感じているテオのほう。どこが好きなの?理想通りのイケメンな地主の息子ってところ?11/9はテオが好きだと思い込もうとしている印象だったけど(アデルのほうが好きそう)、11/10は自分の中で作り上げた理想の夫テオに恋しているのかなと感じた。根本的にテオの抱えている過剰適応的な思考パターンを理解できない人なんだろうと思った。自身が愛されて育ったために。エウリデュケは愛されている実感を感じられる人なんだろう。

レオニダス/岐洲匠
登場人物の中で一番難しい役ではないかと感じた。奴隷→王族→犯罪者(に仕立て上げられた)と、数ヶ月単位で変わっていくという設定で、時間経過で立場が大きく変わるところが難しそう。レオニダスはなぜ死にたいと思っていたのだろう?物心ついた時から既に奴隷の身分であって。(時代背景もあるだろうが)同性者のほうが好きだという事を殊更に異常だと感じていて。本質的に何も手に入れることが出来ないんだと。そういう風に世界を認識して、孤独を感じ絶望していたのかな。でも、セリフのように理由もなく死ななければならないという観念が湧いてきているのであれば、レオニダスは上記で書いたような思いを持っている事を認識できていないのかな。他に描写されなかった何らかの理由があるのか?脳機能の障害によりそういった傾向になっているのか?難しいところ。テオのどういったところに惚れたのだろう?ストーリーでは唯一手を差し伸べたのがテオだけだったな。ワインの話やアザリの丘の話をして世界が広がったような気持ちにはなっただろう。同じように死にたいと思っているテオに共感する気持ちもあったのだろうな。

テオ/中山優馬
アデルの指摘が合っているとして性格を考えるなら過剰適応→パーソナリティ障害的な感じの人なのかな。アッタロスからの家族としての愛、エウリデュケからの夫婦の愛。それらを向けられても信じることができずに、相手に気に入られるだろうと「考えた」言葉を返す。何事もなければ、穏やかで遠慮深く、相手を気遣っているようにみえるだろう。誰でも多かれ少なかれ行っていること。テオの場合はそれが他者よりも少し過剰だった。気遣いと自己保身のバランスが崩れていく。また、その行為を繰り返していると、外面を繕うのは上手くなるが、心の本質のようなものの成長は阻害されるということなのだろう。テオはレオニダスを愛人や恋人として愛してはいなかっただろう。自分と同じように人生に苦しみを感じている人に出会って仲間意識を持っただけだと感じる。ただ、友情に近いがそれ以上の強い共感の心はあったと思う。アデルと肉体関係を持ったエウリデュケに拒絶され、アデルからも人間性を否定され絶望した場面からラストへ。とても共感できるものだった。心の何処かでアデルの指摘は間違っていないと思いながら、それを素直に肯定することはできず、どうしたらいいのか解らず戸惑いと混乱がある。自分自身に対して悲しく惨めに思っているのに素直に表出できず、おちゃらけてみたり、怒ってみたり。自分の心の中で整理しきれずに、全ての感情が奔流となって絶望に集約されていく。時が経ってアザリの丘でエウリデュケと再会し、また同じことを繰り返す。もう、テオにとってテオ自身はいらないもの。このまま生きていたら、自分らしく生きられない。自分自身に絶望しきったテオは最後に思いついた、今日で終わりにしようと。…な感じ?自分で体験した感情だけど、11/10公演のテオの表情や仕草と齟齬はないから、きっと同じようなものだったんだろうと思う。「今日にしよう」って思った時の悲しみと表裏一体のような晴れやかな気分はよく覚えてるな。

心理学的なアプローチで、安全な場所からトラウマ的なものを俯瞰してみることにより症状を軽くするみたいなものがあるらしい。私にとってはまさに、砂の城の観劇がそれだった。
無意識のどこかにこびりついたまま放置していたものが開放された爽快感。夏休みの間、忘れたまま放置していた腐臭を放つ弁当箱を綺麗にした感じでw
見終わった後心が洗われるような感覚だった。心の中の普段は見えないところに放置していたものを供養できた。まるで、幻想的に陽の光が降る心地いい空間で、天上の音色のような祝福の鐘の音が鳴り響いているような。(キリスト教の祝福のイメージ?)
そう感じていたらso happyの歌詞に「祝福の鐘よ鳴り響け」の一文があって、偶然かもしれないけれど、池田さんも同じように感じたのかななんて思ったりした。

もしもこれを読まれた方がいて、テオと同じ苦しみを感じている人がいたら。または、テオの心を少しでも理解したいという方がいれば、以下のめんたねさんのnoteを読んでみてほしい。きっと、新しい気づきを得られるだろうから。


最後に世界観をぶっ壊しにいきます。






























テオについて、サイコパスとか狂気じみているという感想を持った人が多いのではないかと思った。
配役の男女を逆転させて考えてみるとどうだろう?

お金持ちのお家のアッタロ家と、中流家庭だけど両親のいないテオ家があった。
アッタロ江に息子と結婚するように打診されたテオ子。アッタロ江が溺愛して育てた一人息子エウ男と結婚することになった。姑となったアッタロ江から「家族になったのよ」と言われても馴れ馴れしくするのには抵抗が…(よく聞くよね嫁姑問題)。
当然のようにエウ男の実家暮らし、姑さん付き。エウ男は愛してると言うけど、幼馴染のアデ美と一緒に居る時の方が笑顔で楽しそう(ホントはアデ美のほうがいいんじゃないの?)。
エウ男の実家暮らしに慣れないテオ子は、それとなくエウ男に相談してみたけど、「そんな事言われたら俺が悲しい」と言われ(知らんがな。てゆうかちゃんと人の話聞けや)。後から来たアデ美と楽しそうに話してる(アデ美ぜったい気があるでしょ)。
なんとなく居心地悪くて羊小屋で時間を潰してたら、レオ代に会って久しぶりに気を遣わずに話ができた(ちょっとほっこりするー)。
しばらくして、姑が体調崩して弱ってる時に、我が家は奴隷商をして稼いでると突然言い出した。しかもそれは溺愛してる息子のためだと。アウ男はそれ聞いて発狂して姑さん責めてる。面倒臭いけど、取り敢えず姑さんの味方したら、姑は息子が心優しく育ったって喜んでる(なんじゃそら、勝手にやってくれー)。
羊小屋でレオ代の悩みを聞いたり楽しく話して、親しいお友達になっている…と思ったら告られた(‼)。まあいっか位の感じて不貞行為からの、実はエウ男とアデ美に目撃されてた件。
そうこうしてたら、姑さんが危篤になった。泣いてるエウ男をなぐさめようとしたら、こっち来んな、俺の気持ち解んねぇだろ言われ(いやいや、君も私の気持ち解ってくれなかったけど。ワガママかよー)。
気晴らしにレオ代のとこに行ったら、レオ代が捕まっていて、どうやっても助けられなかった。
エウ男のとこに戻ったらアデ美とデキてて、文句言ったらレオ代とのことを持ち出された(あれは違う、そんな汚いものじゃないのに‼)。テオ子を残してエウ男とアデ美は去っていく。そして誰もいなくなった…。以下、so happyまで。


こんなんだったら、まあ、気持ちは解らんでもないというかw、まあまあよくありそうな話というかw。

こう考えると情緒もクソもなくてナンダカナーって感じだけど。
ほんまにアホなこと考えるわ自分って思ったwww

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