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ジブンを大切にすることのむずかしさ。ジブンらしさって一体...?!

こんにちは!ヨガインストラクターのさきです。

noteでは、ヨガのことについて軽めの記事を書くというより、どちらかといえば、おもめの内容をお伝えしていくつもりでいます。人生は光ばかりでは成立しません。ふだんの私はどちらかといえば、うわべだけのジョークばかり言ってるようなニンゲンです。決してふだん話さないことを、深酒が入ったときのように語ってみるのもいいかなーと☻ みんなが知りたいことってホントはきっとディープなことではないですか?!         恥ずかしいキモチ、こわいキモチ、どこまで話せばよいのかわからない想い。闇へと消えてゆくかのようなキモチも思いきって綴っていけたらと思っています。

前置きが長くなりました😅

きょうは、ココロのことについて最近思うことを。自分を大切にすることのむずかしさについて書いてみたいと思います。わたしは、自分が家庭をもち、子どもを産み育て、母となった頃から、自分を大切にすることの意味をはき違えて生きてきました。

一人暮らしのときにはできていたことが、家庭をもち、母としての歓びを知り、シアワセだと感じるようになって分からなくなるなんて、なんだかおかしな話だと思われる方もいるかも知れません。

「母」というコトバには、不思議な魔力があります。「母」といえば、あなたならどんな形容詞が思いつくでしょうか...?!

わたしは、自分のことよりも、子どもたちを優先させる包容力のある強くて優しい。
といったイメージを昔からもっています。

この表現は、とても素晴らしい理想的な母を思わせますし、まさにそんな女性をめざしてわたしはずっと理想を追いかけるように母を演じてきたのです。

そして、わたしが追いかけたその女性は、まさに、自分自身の母親そのものだったのだと、ようやく最近になって気付きました。

わたしは、昔から母が大好きです。

料理が得意で、朝早くから誰よりも早く起き、庭の手入れをして、ササッと朝食をつくり、家では太陽のように優しく、あたたかく機嫌のよい母。母は、生活のために外でもパートタイムで働いていましたが、子どもの帰る時間までには買い物を済ませて帰宅し、家のことをキチンとこなして、子どもたちの帰りを待っています。母はいつでも母であり続けてくれていて、わたしは家庭の中では、心底信頼できる母を見て大人へと成長しました。

そして、なんの疑いもなく、母をお手本に自分の家庭でもおんなじように、子どもたちと接するように努めてきました。

でも、病気になってしまった。
30代で乳がんを患ってしまったのです。

わたしは、今でも、理想の母をどこかで追いかけ続けていますが、いろんな負の経験で、自分らしさというオリジナリティを加えるように今、努力しています。

子どもたちも主人も、わたしがずっとずっとそういった理想の母親像を追いかけているなんて分からなかったと思います。

簡単にいえば、わたしは、母とまったく同じニンゲンではないので、母と同じようには生きられないということに気づきはじめていきます。

家庭の中では、ちょっとやそっとガンバってもホメてくれる人なんていません。子どもたちにとって生まれたときから思うままに動いてくれるニンゲンが存在する。それが当たり前の毎日。子どもたちのために。夫のために。とこちらが思えば思うほど、自分らしさや自分を大切にする。というコトバから遠ざかってしまう。。という矛盾。

わたしは、自分ではないものになろうとずっとガンバってきたのでしょう。どこか虚しさをココロの奥底に抱えていたのかもしれません。
ほんとうは要領がわるいのに、当時、二人の幼子を風呂に入れるのがとても苦痛だったのに、帰りの遅い夫にも近くに住む母にも、助けてほしい!とSOSを出せず一人で育児に立ち向かってしまいます。

癌になる前、今思えば、小さなサインがいくつも点滅していました。

※よく風邪をひく
※蕁麻疹が出る
※喉が異常に腫れ、緊急入院する事態に
※鼻炎になる
※よく微熱を出す
※抜け毛がふえる
※朝ごはんを消化しきれず、カラダが重く、昼食時におなかがすかない
※胃腸の調子が優れない
※耳鳴りが始まる
※胸のシコリを半年以上放置

わたしは、母になり、子どもが低学年の頃まで、ランチにさえいったことがないほど、自分にお金を使うことを考えない人生を送ってきました。夜ドラもほとんど見たことがないくらい自分の時間を子どもたちに充てていました。

カンペキな母ってきこえはいいですが、側にいる家族は息が詰まっちゃいそうですよね?!

わたしは、今でも、ジブンを最優先に生きる
ということが、苦手です。自分を大切にすることよりもまわりのために時間とカラダとココロとお金をつかってしまうクセがなかなか抜けないからです。

今になって思えば、母の人生もどこか犠牲的だったように思います。母は、誠実でない父を信じ、ずっと身を削るように借金の尻拭いをする人生だったのです。そして、父は、母の優しさにあぐらをかき続けて、決して変わろうとはしなかったそうです。結末は、熟年離婚となってしまいます。

自分を犠牲にしてまで、誰かの人生を支える必要なんてない

わたしの中にここ数年で出た結論☻

それに気づいてから、母にそっと教わっていたヘソクリのススメが功を奏し?!ずっとずっと何があっても続けてきたヨガをライフワークにするべく自分に投資をするように。

まーレジャーにいかないところが、全くもってマジメな私らしさなのですが...🙈



今までのお話をきいて、母親である女性は、共感できる部分も多いのではないでしょうか?!

母親が、自分を大切にしている姿をみて
子どもたちも、自分を大切にするという意味を内側から感覚的に理解していくのだとおもいます。

他人のために。気を使い過ぎて、自分を抑えつけてしまうことのないように。
家族のために。ジブンの貴重な時間とココロと体力をどこまで使ってあげられるか?どこに一線を引くべきか?

ジブンを大切にできない妻や母など、
たとえ家族でも大切になんかしてくれない
という事実。

ジブンを大切にしてあげることで、自然と元気が出るし、笑顔が飛び出すし、そのエネルギーを家庭に循環させることで、きっと家庭も明るくなるのだとおもいます。

今日も読んでいただきありがとうございます😊

良いエネルギーが循環していけますように💫

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