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「好き」をどこまで換金するのか問題 2022.07.21

先日友人とランチをしていて、ふと言ってもらった言葉で印象に残ったものがあった。

「早さんは『好き』をあんまり換金しようとしていないのに、いつのまにか仕事になってる、って感じだよね」

言われてみて、確かに、って思ったのと同時に、これって結構自分の中で大事にしているバランスかもしれないなーと感じたので今日はそのへんを言語化してみる。



好きなことで生きていくとか、好きを仕事にする、とかここ最近ずっと言われているけれども、それってそこまでもてはやされることなのか? と正直思っている。そして、好きなことを仕事にしようとするあまり、自分の身の回りのすべてをもれなく換金しようと頑張るのは、生き方としてあんまり魅力的じゃないかもなとも感じている。

もはやこれは美意識の問題で良い悪いじゃないんだけど、なんでもすぐに仕事にしようとする=換金しようとするのは、ちょっとやらしいなという感覚を私自身は持っている。

もちろん私も、自分が好きで一生懸命やってきたことが褒められたり評価されたり、それがなんらか仕事に繋がったりすると認められた気がして嬉しい。
だから、好きを仕事にしたくないわけじゃない。
それに嫌いなことよりは、関心があって好きなことの方が仕事によりコミットできる。そのほうが関わる人にちゃんと貢献できるし、基本的にはとっても良いことだと思う。

だけど、好きなことはただ好きでやるから好きなのであって、それをあんまりにも必死こいて換金しようと頑張ってしまうと、なんだか好きの形が変質してしまうような気がする。私自身の「好き」が、仕事というフィルターを通すことで違うものになってしまうことを、私はかなり用心深く警戒しているところがある。

なんでそうなっているのか改めて考えてみると、他でもなく、過去に一度そういう経験をしてきたからだ。


このnoteでも何度か書いているけど、私のファーストキャリアはプロダンサー(競技ダンサー)で、その流れからフリーランスのドレス屋さんになった。

ダンスも、ドレスづくりも、私にとってはそれまでの人生を生きてきて、その当時「いちばん好き」と言える題材だったと思う。好きを仕事に、という価値観から言えば、キャリアの一番最初からそれを実践できていたのはとても幸せなことだったのかもしれない。

だけど、今現在の私はダンスを踊ることをほぼ辞めてしまっているし、ドレス屋さんは辞めてはいないものの、趣味の範囲と言える程度にしかやっていない。

おそらく、仕事として続けていくことは、余裕とは言い難いものの不可能ではなかったと思う。それでも、好きだったそれらを本業として続けることは選ばなかった。というか、選べなかった。

仕事としてやっていくうちに、どうしても「楽しい」より「しんどい」が上回ってしまったからだ。

仕事として請けたものであっても、もちろんやっている時は、楽しかった。それは今でもそうで、踊ることも、ドレスを作ることも好きなことには変わりはない。それなのに何がしんどいのかって、私の場合は何よりも、こなさなければいけない「量」の問題だった。

よく、「仕事にしたらやりたくないこともやらなければいけなくなる」という理由で、好きを仕事にすることの弊害が語られることも多い。だけど、私の場合はそこはあんまり感じたことがない。仕事としてやっているものについても、基本的には自分の納得のいくものを作らせてもらっていたし、やりたくない仕事はだいたい断っていた。

でも、多くがやりたくて好きな仕事になっているという客観的に見ればとてもありがたい状態にも関わらず、私は「ひとつのことをたくさん、長時間やることが強制される」ということそのものに耐えられなかったのだった。

好きなことややりたいことなら、いくらでも働ける、という人も世の中にはたくさんいるようなので、これは単純に人によるのだと思う。私の場合は、自分で決めた適切な頻度で長期間続けることは苦にならないものの、人と約束して、予定通りに、しかも採算がとれる量を定期的に働く、というのがどうにも無理だった。我ながらなんてわがままなんだ!

それなのにフルタイムの会社員はできるんだ? というのは自分自身でもやってみて意外だったのだけど、会社員は少なくとも働く時間の範囲はある程度元から決まっているし、自分の仕事に毎回いちいち値付けをする必要もない。入社時、あるいは査定時に提示された「あなたにはこの金額で、この時間、こういう仕事を期待しています」という内容に応えていればよい分、気楽だと感じている(もちろんそれも人や仕事内容や環境によるだろうけど)。

個人事業主はそういうわけにはいかない。特にモノ作り系はそう。

年単位どころか、月単位の見通しも立たないので、絶えず「この仕事にはいくらの価値があるのだろう?」「この人はどのくらいのクオリティを求めているんだろう?」「どのくらいコストがかかるかな?」「今月、残りはこのくらいの単価の仕事請けとかないときついな」みたいなことを計算し続けて、仕事を積み上げていく必要があるのだ。

それ自体もいつも頭が休まらずほんのりしんどいのに、それに加えて「私の仕事はこのくらいの金額の価値だな」という自分の感覚と、「その金額で採算を取るにはこのくらいの量働く必要がある」のバランスが、どうにも釣り合わないことが多いのもしんどさの理由だった。

ビジネスとしてだけ考えれば、少ない労働で採算がとれるラインまで単価を上げればいいじゃない、と思うかもしれない。実際そうなんだと思う。自分で思っている価値より高く評価してくれる人がいたらそれはありがたいことだし、そういう人を相手に仕事をしていくべき、というのは数々の起業・独立本で飽きるほど読んできた。そうやっている人たちこそ個人として稼いで、成功しているのは事実だろう。わかっているのだけど、だけどどうにもそれだと、自分が納得できるラインから外れてしまうのだった。

たとえば、私がやっていた社交ダンスのドレス屋さんは、最終的にはだいたい単価20~30万で仕事をしていた。一般的な感覚ではそれだって十分高いだろうけど、オーダーメイドかつ原価がかなりかかる商材なので、業界平均で言えばそこまで高額とも言えない。高価格帯を見たら平気で1着40万、50万とかかる世界だ(よく考えるとそれもとんでもないね……)。

そしてその高価格帯のドレスを買うお客様は誰かというと、私が当時ドレスを作りたかった学生や若い競技ダンサーではなく、ホテルのパーティー出演のためにドレスを作る、ある程度高齢でお金のある層になってしまう。もちろんそのお客様層にだっていろんな需要があるし、素敵に着こなしてくれる人はたくさんいる。それは事実なんだけど、やはりどうしても、競技向けの攻めたデザインばかりというわけにはいかなくなってくる。だってお客様が欲しい物を作るのが仕事だからね。

競技会に出ているような若い世代にも手が届く価格帯で、私が作りたいドレスを作って、なおかつ生活できる収入を確保していくためには、数をたくさん受けるしかない。

だけど、前述の通り、それはもうどうにも私にはしんどいので、バランスが取れず、これは他の仕事と組み合わせていくしかないな、と思ったのだった。

そうしてパラレルワークのつもりで始めたIT企業での仕事が思いの外ハマって、フルタイムの会社員になったのでそれもすごく運が良かったのだろう。


そんなわけで、「好きを仕事に」するにしても、その中身にはいろいろとグラデーションがあるよねぇと斜めに構えているのです。


そして冒頭の、「好き」をどこまで換金するのか問題。

ぜんぶを換金しようとするのはダサくない? みたいなことを言っておいて、結局自分だって懲りずにまたインテリアについて発信して仕事にしようとしてるじゃない、と思われそうだし、それはもっともですねとしか言いようがない。だけど、一応言い訳をすると、あくまで私の中では、仕事にしようとして好きをアピールすることと、好きをアピールしていた結果仕事になるのは、たどり着くところが同じであれ、誰がなんと言おうと違うことなのである。

そもそもの私の「好きを仕事に」の始まりは、誰に頼まれたわけでもないのにドレスを見様見真似で作り始めて、さらになんの利益もないのにその作り方をブログに書いていたことだった。それがたまたま、私のドレスを気に入ってくれる人の目に触れて、作ってほしいと頼まれるようになり、いつのまにやら仕事になった。

当時は、そこからうまく仕事と好きのバランスを取れるようになるほど器用ではなかったから、そのまま続けることはできなかったけど、本質的には、何の仕事につながるわけでもなくブログを書き続けていたあの頃と、いまでもあまり変わりはないのだと思う。

やり方を試行錯誤して何かを作って、それを周りに「みてみてー!できたよー!」ってやるのが、私は何より好きなのだ。

子供がつくったものを親に見せびらかすような感覚で、私はブログやnoteに作ったものを書いている。どうやったの? と聞かれたら、こうだよ! って教えて回りたい。わかったことをシェアして、できる喜びを感じる人が増えるのは単純に嬉しいし、楽しいから。それが結果的に仕事になったり評価されたりしても、あるいはまったく見向きもされないとしても、純粋に自分の好きを大事にし続けていたいと思う。

だからといって、好きでやっているだけだから仕事として引き受けたものをおろそかにしていいとか、好きなことだから対価はいらないとかそういう話ではもちろんない。結果として仕事になったら、お金を払う価値があると認めてくれた人たちには十分に応えたいし、適切な収入も得ていきたい。ただ、自分の好きを維持するための順番は守りたいと思っているのだ。

そのためにいちばんいい方法は、結局はいろいろ好きなことをやってみて、結果的に仕事になった、というものを増やすことなのかなと現時点では考えている。その中のひとつが、インテリアだったり、文章を書くことだったり、IT企業での仕事だったり、ドレス作りだったり、まだやったことない何か新しい好きなことだったりするといいなと思う。



このへんの考え方は、この本に影響されているところが大きいかもしれない。働き始めた頃に一度読んで、最近また本屋で見かけて読み直したけど、必死に仕事にしようとしない適度なゆるさが私にはちょうど良くて心地いい。

「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ」

(まえがきより)



私の「好き」が結果的に仕事になったものの集大成としての書籍が、8月に発売されます。

これは私の「こうやったらできたよー!」という情報を、これまででいちばん気合を入れてまとめたものなので、全力で「みてみてー!」をしていく所存です。

本をつくる、というのはもはや自分ひとりでブログやnoteを書いていた時とは違い、こんなにもたくさんの人の労働の上に成り立つものなんだな……という凄みをひしひしと感じております。

ひとりでも多くの人に届きますように。

たのしいものを作ります