競技ダンスにさよならを言った日

踊るために生まれてきた。私はダンサーだ。

そう迷いなく信じていた時期が確かにあった。

3歳からずっと踊ってきて、大学で競技ダンスに出会い、途中で諸事情あって中断しつつもしつこく続けてきて10年目。


だけど私は、とうとうダンスにさよならを言うことにした。


約1年一緒に踊ってきた人とのパートナーシップを、先週解消した。

お互いに何かと状況が変わって、組んだ当初の目標に向かうだけの熱意を維持しながら続けるのが難しくなったからだ。

特に関係が悪くなったとか、喧嘩したとかいうことは一切なく、ただ淡々と、お互いにもう無理なんだろうね、ということがわかっていて、決めるまで散々悩んだわりには確認するのはあっけなかった。

私はもう、踊るために毎日フロアに通うことができない。それは紛れもない事実だった。

毎日毎日、練習場に入り浸って、鏡に向かって何時間でも踊っていられた。ただただダンスが上手くなりたくて、ただただ踊ることが楽しかった。取り憑かれたように、何があっても踊ることは辞められなかった。
そんな私はいつの間にかどこかへ行ってしまった。

ある時ふと、なぜ踊っているのかわからなくなった。
なぜ踊るのか、なんて今まで考えたこともなかったのに。


彼と組んだとき、これが最後のダンスのパートナーだと思った。

このパートナーシップを解消する時が、競技をやめる時だとわかっていた。年齢的にも最後のチャンスだった。実力や相性も、これ以上のものは望めないとわかっていたから、自分の最後のダンス人生をかけるつもりだった。

そのつもりだったのだけど、やっぱり、一番体が動く20代の中盤にブランクを空けたことは思っていたより大きかったんだと思う。

若さというのは本当に貴重で、その時にしかできないことがある。そのときにやっておかないと、あとからどうしても取り戻せないものがある。

いつだってなんだってやり直せると思っていたけど、失ったものなんて大したことないと信じていたけど、時間の経過というのは残酷で、肉体は鍛え続けていなければすぐに動かなくなるし、同じ練習をしても以前ほど成長を感じられない。

大事な数年を踊らなかった自分自身の身体と、その間ずっと止まっていたかつての踊る感覚との間にあるギャップを、私は最後までどうしても埋められなかった。

自由に踊れないことを人のせいにしていた未熟さに戻って相手を責めることももうできないし、踊ることが楽しくないのは、どう考えても100%自分のせいだ。

ダンスが楽しくない。
そんなこと生まれて初めてだ。

"そんなに踊って何になるの?表現したからどうなるの?とか聞いてくる人、本当にわかってないな。踊るために生きるのだし、生きるために表現するだけ。そこから先なんてないよ!"

1年前の自分はこんなことを言っているけれど、踊るための衝動がなくなってしまって、私は踊るために生きられなくなってしまった。踊る理由なんて、"踊りたい"以外になかったから、それがなくなったらもう何もできない。

ダンスがなくなった自分がどうやって生きるのか、何を目指して何になればいいのか、ほんとにぜんぜんわからない。

それでも私はダンスから卒業しなければいけないんだ、と思った。


そういえば就活を辞めてプロになったのも、自分が人生で何をするべきか考えることから逃げたかったからだった気がする。

ダンサーである私が、本当の私だと思っていた。
それ以外の自分は何もできないしょぼくて小さいただの自分でしかなかったけど、競技ダンサーとして踊っている時だけは輝けたから。

フロアに立って、たくさんの視線を浴びて、音楽を聴いて、自由に踊っている時だけ、私は私を認めることができた。私は私を誇ることができた。

何にもないまま歳を取って、死ぬことがずっと怖かった。歳も取らずにある日突然人生が終わることだってもちろんあるし、それもものすごく怖かった。

ダンスで上を目指して、胸を張れるだけの結果を早く残して、なるべく踊っていない自分を小さく小さくして、いつかなくしてしまえば、きっと全部に自信が持てる。だからダンサーになった。自分はダンサーなんだと信じることにした。


だけど結局、プロダンサーは続けられなかったし、アマチュアに戻っても胸を張れるような結果を残すこともなく、それにトライすることもほとんどなく、肝心なところでタイミングを逃したり、目の前のチャンスを見過ごしたり、その時大事だと思ったものを優先して右往左往した結果、いつのまにか時間が経っちゃったなぁ、って感じ。


人生というのは、本当に思っていたような一本道には進めないものだなぁ。



でも不思議と後悔も未練もなくて、寂しさはちょっとはあるけど、とてもさっぱりとした気持ちです。

一度プロをやめたときにも同じようなことを言ったけど、あの頃はまた戻りたくなったらダンスに戻ってくるつもりだったから、今はその時とはまた違った感覚で、本当に終わりにするんだろうなと思っている。


ダンスを辞めてダンサーでなくなったとしても、残念ながら自分の人生はそこで終わってはくれないから、肩書も何もないただの早として(もはや杉山という名字も諸事情あってアイデンティティーのかけらもない名前だし、なおさらただの早でしかない)この先をどうするか考え直さなければいけない。

まだはっきりとは見えていないけど、たぶんこっちに行くんだろうな、といううっすらとした予感もあるにはある。

どうせどうなるかわからないのだし、いつもどおり直感にまかせて進んでみるつもり。



長年人生の相棒を努めてくれたダンスに、さよならと、ありがとうを。

これからは、ただの早をもう少し信じてあげようと思う。


夢中にさせてくれて、私を輝かせてくれて、たくさんの拍手と歓声をくれて、ただただ、素晴らしい日々でした。



また、ダンスに負けないくらい愛せる何かに出会えますように。












たのしいものを作ります