ガスを止められた話とか自意識とか

最近、まわりのみんながいろんな日記をnoteにあげていて、いいな、私も書きたいな、と思ったので久しぶりに書いてみる。あんまり考えすぎずにいま思っていることを垂れ流してみたい。

特に書くことは思いつかないから、この間自宅のお湯が出なくなった話を書こう。

いつも温まるのに時間がかかるのでしばらく蛇口をひねって待っていたんだけど、その日は一向にあったかくならなかった。給湯器のスイッチが切れてるのかな?と思ってもう一度押しに行き、またしばらく待つ。お湯、出ない。

そこであっと気づく。そういえば、昨日の夜帰ってきた時にドアに何やら封筒が挟まっていたな…。

思い出して昨日適当にテーブルに放置していたガス会社からの知らせを見ると、2018年10月の料金が未払いだから火曜日までに払わないと止めるぞ、と書いてあった。今は木曜日の昼すぎ。なるほど昨日からすでに止まっていたらしい。

丸一日近く、自宅でお湯を出さずに生活できていたことにも驚きだけど、30歳手前にもなって料金未払いでガスを止められてる自分に呆れた。先月も1年近く前のOISIXの未払い請求を見つけて慌てて払ったら、それは二重支払いになってしまっていて、払い戻しのやりとりに大層な労力を払ったばかりだったのに。

毎月、生活に必要な料金の支払いがうまくできないし、いつも都度払うのが苦手だから自動化しようとするんだけど、そのたびにすぐ引っ越したりしてやり直しになってしまって、そういうのが重なるとクレカとか銀行口座とかの登録住所すら何がどうなってるかわからない、みたいな混乱状態になる。こないだは池袋の住所の村松早さん(5つ前の家、旧姓)で登録されてるものが出てきた。もはやこの住所氏名から誰の身元も特定できない。

毎週定期的にゴミの日にゴミを出すのも苦手で、年末年始の飲み会で出た不燃ごみを昨日やっと出すことができた。それも前の日の夜に恋人が自分のGoogleカレンダーにゴミの日を登録してまでリマインドして、めんどくさがる私のお尻を叩いて寒い中一緒に出しに行ってくれてやっとのことで完遂できた。持つべきものは寛容で面倒見の良い恋人だ。


今日のランチの時間、友人たちと話しているときに、そのうち1人の友人が書いた文章を読んで思い出したいろんな過ちの話をした。最初にうん十万の料金を支払ったけどまったく通えなかった大学時代の習い事とか、仮免許まで取ったのに取得できなくて半額無駄にした自動車教習所とか、まとめて払うと半額で通い放題でお得だよと言われて入会したのに月1回も行けてないキックボクシングとか、3回分の治療費払ったのにまだ初回しか受診していないまま半年経った歯列矯正とか。とかとか。いや、最後のはちゃんと行くつもり。まだ諦めてない。

「早さんは通い放題、きっとこれからやらないほうがいいね」

と言われてぐさり。わかってるよ。でもわかっているのに繰り返してしまうんだよなぁ。

定期的に、や期限通りに、というのが、外部からの強制力がないと病的にできないんだと思う。それでどんなに損したり不便になることがわかっていても、ぜんぜん、なんにも、行動に影響しない。いや影響するだろ、と普通は思うんだろうけどしないのよ。損をする、とかお金がなくなる、ということが、現実的にどういうことなのか、お金というのは結局概念だからうまく理解できていないところがあるのかもしれない。

もちろんごはんを食べるお金もない、となったりすれば実感するんだと思うんだけど、幸いにしてそこまでの事態に陥ったこともない。銀行口座が0になってクレカの引き落としができない、という事態は個人事業時代に何度もあるけど。それもちょっと待ってもらったり一時的に借りることができたりすればなんとかなったから(なんとかしてくれた周りの環境や運が良かっただけなんだけど)、やっぱり、なんだか、よくわからないんだよね。

欲しいものや魅力的な体験がそこにあって、それが何かしら手を伸ばせば買えるものなら、その値段が1000円でも1万円でも10万円でもあんまり変わらない感覚で出せてしまう。出した後に得したのか損したのか、そういうことは考えられない。100万円だったら、さすがにぽんと出せる状態になったことがないから違うかもしれないけど。

それは良いことなのか、悪いことなのか。なんとなく悪いことなんだろうとずっと思っていたから、無駄遣いしてしまった話とか、期限が守れなかった話とか、いままではあまり人にも言えなかったような気がする。お金や生活をきちんと扱えないのだから、私は価値あるものを与えてもらえなくてもしょうがない。私は何かを大切にできない人間なんだ。私はダメだ。そんな感覚を持っていた。端的に言うと、自己評価がめっさ低かった。


ええと、なんの話かって、お湯が出なくなった話だ。

そう、お湯を止められるくらいには、私は"ちゃんと"ができなかったし、これからもあんまりできる自信がない。今後もきっと、通えもしないなにかに急に入会金を払ってしまいそうだし、運転免許証は一生取れないかもしれない。

それはもう明らかにバレバレなのに、いままでの私はそのダメさを一生懸命取り繕って隠そうとしていた、と思う。隠せてないんだけど、でも心理的には隠したかった。優等生でなんでもできて人気者の早ちゃん、をやりたかった。誰に求められたわけでもないのにね。

そういうことに、去年の夏に一度ものすごい精神的に落ち込む出来事があってから内省を繰り返し続けて、ここ数ヶ月の間で徐々に気づいてきた。だめなところやできないことを、ここ苦手でできないんだよね、とかなんかやりたくない、とか嫌だ!とか無理!!とか駄々こねたりどんどん開放的に…といより幼児返りみたいになっていってるんだけども、まあそれはそれで面白がってそのまま受け入れてくれる人がいることも知ったよ。noteに書いて公開できる程度には、自分へのダメ出しをしながら表面上涼しい顔を取り繕う滑稽な自意識が薄まったと思うと、なかなか上出来なのではと思う。

ガス料金もちゃんと払えないし、免許も持ってないし、歯も治せてないけど、まあそれはそこそこになんとかやり過ごしつつ、自分ができることをもう一度探してやっていこうかなというのが最近の気持ちです。あ、でもキックボクシングはもう諦めよ…。


一度ちょっと疲れてしまってもうだめだぁという気持ちで辞めていた創作活動も、また少しずつ再開していきたいな。

価値のあるものを生み出そうとか、完璧にしようとか、評価されないといけないとか、そんなん気にしたら怖くてなんにも作れない。でもなにも作らないでいた間の自分は死んでいるみたいに力が出なかったから、生きるためにはきっとそろそろ作らないといけない。たぶん、私はそういう生き物みたいだ。

たのしいものを作ります