見出し画像

アーティストにはなれなかった。だから私はエンターテイナーとして生きてゆく。

高校3年生の5月まで、私は東京芸大に行きたかった。

それまでずっとダンスと音楽をやっていて、高校がちょっと変でクリエイティブ万歳な環境だったこともあり、舞台芸術に携わって生きていきたいとその当時は思っていました。

芸大には比較的最近できた新しい学科として音楽環境創造というのがあって、そこは音楽や身体表現を組み合わせた、既存の枠にとらわれない新しいアートに挑戦できる場所っぽかった。(実際行ってないのでよく分からない。)

私は小さい頃から楽器を極めていたとか、バレエダンサーとして劇団に入れるレベルだとか、そういうこれといった芸術の才能がなかったので、プレイヤーとして芸大を目指すのはちょっと現実的ではなかった。でもどうしても芸術系として生きて行きたかったから、プロデューサーとして新しい作品を生み出す側にならなれるかも、と。漠然と。いけんじゃね?って思っていたんですね。

私は、アーティストになりたかったのです。

突出した楽器の才能も絵の才能も何もなかったのに。


そこで高3の5月、卒業制作として(普通科高校なのに卒論or卒業制作があるのよ)自分で作詞、作曲、編曲、振付、演出、監督、そして役者を全部やるという、自分の頭のなかを全部表現する舞台作品を作りました。もしこれが映画ならエンドロールにひたすら自分の名前が並ぶわけで、よくもまぁ恥ずかしげもなくやったなとは思う。

どれも実力としては大したことなかったと思うし、無理矢理感満載だったけど、とにかくやりたい!の一心で、才能豊かな後輩たちの協力もあり、やりたい放題やってそれはそれは楽しかった。

だけど、そこでふと気づいてしまったんです。

あ、私はアーティストとして表現したい「中身」がない。ってこと。


やってみてわかったけど、私は形としての、表面的な表現の方法にしか興味がなかったんですね。

例えばこういう演出にしたらかっこいいよね、とか、こういうアレンジの曲は盛り上がるよねとか、このタイミングでこういう照明でこの振付で踊ったらめっちゃ面白い、とかそういうやりたいことは山ほどあるんだけど、肝心の表現のための主題というか、テーマみたいなものがなくて、とにかくその表現方法を使ってみたいがために無理矢理中身を考える、みたいな。

うーん、なんか分かりづらいかな。

文章でいえば、伝えたいメッセージがないのに、文体だけを極めたくて、凝った比喩表現を使いたいがために書く内容を考える、とか、そんな感じでしょうか。

とにかくこの時に、あ、私はアーティストにはなれない。って気づいたんです。

そこでさーっと芸大に行きたい!って思っていた気持ちが冷めてしまって、急遽、進路を変更しました。高3の6月に。芸大に行く気満々で日本史やら数学理科やらは全くやってなかったから、国立受験は捨てて私立文系に絞り、日本史だけはここから本気でやろう、と勉強を始めるっちゅう無謀さ。いつでも無謀だけどこの時もそうだった。


まぁそれはいいとして、この時に思い知った自分の中身のなさ、言い換えれば情緒のなさっていうのが、自分的には結構ショッキングでした。


芸術家っていうのは、世の中の真理をすごく間接的な方法で表現する人たちだと思う。そのためには、今の現実に役立つこととか、「実用的」な部分から離れた思考をしていなければならない。

一見何のつながりがあるのかわからない、無駄と思えるようなことから、普通の人にはわからない独自の抽出方法を経て、宇宙の真理を現実世界に下ろしてくるのが彼らの役割です。

この人はアーティストだ!っていう人は、間違いなく、宇宙と交信しています。何人かそういう人を知っているけど、宇宙人だよあの人たちは。


だけど、私は悲しいくらいに地球人だったのでした。

すぐに、〇〇に役立つもの10選!みたいなキュレーション記事とかに飛びついちゃうくらい、思考回路が現実的すぎるんですよね。

わかりやすいもの、アウトプットのために役に立つものをついつい求めてしまう。

小説を読むより実用書。CDより楽譜。劇団四季のチケットよりダンスのレッスンチケット。美術館でボッティチェリ展見るより、フォトショの上手い使い方が知りたい。

何か素敵なものを見たら、これはいったいどうなっていて素敵なんだろう?自分でこれを作るにはどうしたらいいんだろう?ってことを瞬時に考える。作品をじっくりと味わう間もなく。

村上春樹とホリエモンの本が並んでいたら、迷わずホリエモンを選んでしまうようなのが私なんですね。うーん、やっぱりアーティストにはなれませんねこれは。

本当は、ただ知りたい、という純粋な興味から始まったものを貪欲に吸収していって、どこかでいっぱいになったものがふと零れ落ちてくるような、風の流れに乗ってできた雲の形に差す光の偶然の美しさのような、そういう深みを持った表現に憧れているのだけど。

なかなかそんな風にはなれそうもない、というのは高校の時に感じたものから今もあまり変わりません。残念ながら。


だけど、アーティストは無理だ。と気づいた当時は愕然としたのは確かだけれど、今はこれはこれで自分の強みになるのかも、と思っているんですね。

この情緒のない現実的思考は、確かに宇宙との交信で真理に到達することはできないかもしれない。だけど、目の前の誰かを喜ばせるもの、面白がってもらえるもの、気に入ってもらえるもの、そういうものを生み出すのには結構好都合なのだ。

何だか素敵、楽しい、ワクワクする。

そういうちょっとしたエンターテイメントが日常にあることは、たとえ世界の真理には近づけなくても、いつもの毎日をちょっとだけカラフルな世界に変えることができると思うのです。

私がこれからやっていきたいのは、そういうこと。私の作ったものに触れた誰かを、ちょっとだけ幸せにする、エンターテイナーになりたい。

それは今の本業であるダンスドレスデザイナーという仕事でも、競技ダンサーとしての踊りでも、このnoteで書く文章でも、変わらない。

アーティストにはなれないけれど、私は私の作ったもので誰かを幸せにしたい。そういうものが生み出せる自分になりたい。

これが私の生きる道、なのですきっと。



たのしいものを作ります