誰にも見せない言葉をずっと書き続けている

日記4日目。いつまで続くかなー。

帰りに乗るバスを間違えたことに気づいて途中下車して、それがちょうど一年くらい前まで住んでいた土地だったので、当時毎日のように通っていたテラス席が最高でコーヒーがめちゃくちゃ美味しいカフェに寄ってこれを書いている。

その当時、人生いろいろあって毎日ここで悶々と自分と対話し続けて、考えたことをずっとノートに書いていた。悩みができるとずっと手で文字を書いて消化するタイプ。そこから1年経って、同じ場所に久しぶりに来てみて、その頃と比べて毎日すごく落ち着いているなと思った。ずっと「次にやること」について考えて目の前のことをやりながらも焦って追い立てられてるような感じだったんだけど、いい意味で「今やれることをやる」に集中できるようになった。しばらくその頃の「頭の中整理ノート」を取り出す必要も生じていないし、めずらしく平和で調子がいいので、なるべく保っていきたい。

そんなふうに書き溜めてきたノートがたくさんあるのだけど、自分で見返すのすらなんか恥ずかしいのに、人と住むようになってから「もし私が今日急死したらこのノートはどうなるんだ?」と心配になったりする。別にまずいことが書いてあるわけじゃないんだけど、見せるつもりで書いていない文章を知らないところで見られるの、恥ずかしさレベルだとかなり上だと思う。

というようなことをたまに会話して、絶対に見ないで処分して!と言っているものがいくつかある。そんなこと言うくらいならさっさと自分で処分しておけばいいのだけど、記憶を捨てるみたいでそれはそれでなかなかできないんだよなぁ。

なんでも時間が経つとすぐにすっかり忘れてしまうので、よかったことも悪かったことも、そこで感じたことや考えたこと、その時のわたしがどんな人間だったのか、言葉で残しておきたい。そうしないと自分が誰だったのかをどんどん忘れていってしまうような気がする。

「誰にも見せない文章を書き続けている人はやばい」

みたいなことを以前物書きや編集をしている友人が言っていた。その人に「もっと文章を書いて公開するべき!」とも、ことあるごとに言われる。

そんな言葉を真に受けて、見せられない手書きのノートではなく、かろうじて見せられるデジタルのnoteに移行していこうかなぁと思っている次第です。

そのうち昔の紙のノートを捨てられるぐらい、記憶を頼りに自分を認識し直さなくても現実にきちんと存在していられる自分になりたいなぁ。


たのしいものを作ります