職業美人とおしゃれ戦闘服を着た人が集う街、東京

現在住んでいる地域は渋谷まで徒歩圏内、新宿や六本木まで電車で10分、という場所で、間違いなく東京のど真ん中。

初めてこのあたりに引っ越してきた時、歩いている人のオシャレ度の高さに驚いた。

平日の真っ昼間から、明らかに一般人ではなさそうな長身美人(モデルさんか何か?)、ハットを被ってMacを抱えて颯爽と歩くお兄さん(IT系社員?)、絶対に高そうなブランド子供服を子供に着せて、海外メーカー製のベビーカーを押しているママ、ファッションスナップに載ってそうな外国人の方などなど。

最寄り駅のホームには、明らかに以前住んでいた実家の最寄り駅の人種とは服装が違った人たちがいた。

方や私はというと、仕事は基本自宅で人に会う用事でもなければすっぴん、授乳の為にめんどくさくなってから下着はずっとブラトップ、らくちんな部屋着で外をウロウロしている。

この街は、私みたいに努力をしないものに存在を許さないのだろうか。

そう思うくらい、雑な格好の人がいない。

そんな環境に住んでいると、なんとなく自分もいいものを着て、ちゃんとしていなければいけないような気になってくる。

まずい。私はこの街に住むような、洗練された人間ではないんだ。


一応は、ダンス衣裳製作という美とデザインに関わる仕事をしているし、ファッションについてもそれなりに自分の好みやこだわりがあるほうだと思っていた。

でもこの街の中ではなんとも自分がダサいような気がしてくるのだから、人の自意識というのは本当に外部の環境に影響されやすい。私のちょっとだけあったオシャレさんの自信はこの東京の中心では無力だった。

そんなことを考えて洋服を新調しようか悩みながら電車を待っているホームで、楽しそうに友人とおしゃべりしながら降りてくる彼女達を眺めていた。

でも、そこでふと気づく。

彼女達は、ここに住んでいる人たちではないかもしれないということを。


東京の中心には、働きにくる人、遊びに来る人、その他たくさんの用事の人が集まってくる。

彼女らにとってここは仕事場であり、遊び場であり、自分のクローゼットの中から最高のお気に入りを着て出かける場所、つまりはおしゃれの戦場なのである。

そして仮にこのあたりを住まいとしている人も、このあたりに住まねばならない、もしくは住みたいと思う人というのが、職業=美人とか職業=おしゃれみたいな人種が多いのではないか。いつも綺麗にしている美人な女性はいわば常にそれを武器に戦っている、職業美人なのだ。

そんな常に戦闘力最強の職業美人や、自分の持てる最高の一着を身にまとった戦闘準備万端の人たちと、すっぴん部屋着の超無防備な自分が戦おうというのが無理な話である。

ジャージにTシャツでは、戦闘服に太刀打ちできない。

そしてまぎれもない一般人の私には、毎日戦闘服を着て生活することは不可能だ。


そう気づいたら一瞬で私のこの街の人たちに対するおしゃれ闘争心はしぼんで行き、結局ブラトップしか着ない毎日に落ち着いたのだった。

私が毎日気合いを入れて綺麗にしていたところで、お金をもらえるわけでも、まして誰かに会うことすらないのだから。

たまに人と会うとき用に、せめてこの街でいたたまれなくならない程度の、戦える戦闘服を数着クローゼットに用意しておこう。


昔、持っている中で一番輝かしい服を選んで着て出掛けた、憧れていた東京の街も、住んでしまえばたちまち最初の新鮮な輝きは薄れていく。

特別だったものが日常になること。それは憧れていたことでもあるけれど、なってみるとちょっぴり寂しい。

だけど、そんななんでもない日常が何よりも愛おしいのである。



そんな風に手抜きの言い訳をする夜の帰り道。

私の降りた電車に、戦闘服を着た人たちが乗り込んでいく。彼女たちもきっと、その服を脱いで、ちょっぴりくたびれた部屋着に着替えてくつろげる、そんな日常に帰っていくのだ。




たのしいものを作ります