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黒木華のオフィーリアがヤバかった感想

2019.5.15 18:30
中2階の上手側立ち見席、両隣に人。芝居を観るにはお世辞にも良い環境とは言えないけど。

渋谷Bunkamura、シアターコクーンにて「ハムレット」を観劇してきた。主演は岡田将生、演出サイモン・ゴドウィン。

それは「黒木華ちゃんがオフィーリアをどう演じるのか観たい!」という母の一言がきっかけだった。かつて舞台女優であった母にとってのオフィーリアという存在の大きさを想像する。シェークスピアの悲劇のヒロイン。多く美術作品の主題となり、幾人もの偉大な女優がオフィーリアを演じてきた。

↑これは樹木希林。

黒木華といえば今やトップ実力派女優、根っからの舞台育ちでありながらテレビドラマ、映画での活躍も目覚ましい。私が初めて彼女を知ったのは2013年の世にも奇妙な物語「ある日、爆弾が落ちてきて。」だった。流行りの顔でない、どちらかと言えば地味な印象。なんでこの子?と最初は思ったが、一挙手一投足、彼女の演技にぐんぐん引き込まれるうちに気づいたら観終わっていた。ドラマを観ていてあんな感覚になったことは後にも先にもない。それ以来ずっとファンで、出演作は極力チェックしている。

だから黒木華がオフィーリアをどう演じるか私も楽しみで、立ち見にもおかまいなし、勢いのままチケット買ってしまった。Bunkamuraの目の前、松濤カフェで糖分チャージ。気のいい名物店主さんに見送られ、いざ。


デンマーク貴族の娘オフィーリアは主人公ハムレットの恋人、劇中では王妃ガートルートと並ぶメイン女性キャラクターである。かの有名なセリフ「尼寺へ行け」はハムレットからオフィーリアに向けられるものだ。

このオフィーリアは、純潔と狂気と死、そして恋人への献身を象徴するヒロインとして19世紀には多く絵画のモチーフとなっている。その薄幸さ、儚さは象徴派の求める理想の女性像と合致した。

狂気に陥ったオフィーリア、そのジェンダーと狂気を強調する演出として多く取られてきたのが、白い服を着て野の花輪を頭に乗せ髪を振り乱し断片的に唄を口ずさむ、という方法である。

しかしその時代の女性性と狂気への理解によってその表象も変化してきた。これぞ古典演劇の醍醐味だ。人の数だけ、いや、おんなの数だけオフィーリアがいる。

ところで私は今年1月から4月まで深夜帯に放映されていたアイドル番組「SKEBINGO!ガチでお芝居やらせて頂きます!」を視聴者でもあった。番組ではSKE48のメンバーが各回ごとにその道のプロを先生に迎え、アクション・ダンスなど芝居の基礎となる演技を学び、最終的には舞台「ハムレット」のキャストを決めることとなる。

SKEハムレット、ここでもオフィーリアのオーディションは観ていて楽しかった。与えられたセリフをもとに各々自撮り映像を撮影してくる。古典的に白いワンピースでお花を周囲に散りばめ儚げな雰囲気を出す者、なぜかカメラ目線でキメ顔をし続ける者、屋外で身体性をフルに生かし暴れて狂気を表現してみる者、まさに三者三様、加えて現役のアイドルがオフィーリアを演るというだけで面白い。

話が逸れたが本題に戻ろう。⚠️(以下ネタバレ)

この日のハムレットは何やら最初から様子がおかしかった。岡田将生演じる主人公ハムレットがやたらとメンヘラなのだ。始まった途端ハムレットが情緒不安定すぎて最早復讐どころじゃない。心配しちゃう。

オフィーリアはと言うと、まずその出で立ちはと言うとヨーロッパ貴族というより、まるで明治大正の華族の令嬢のような(これは黒木華が持つ素材もそう見せるのか、)洋装である。
序盤は可憐で愛らしい品のあるオフィーリア、それが狂気に転じたときの演技が凄かった。

自分の髪の毛を引っこ抜いて配って周るのだ。
本来は花を配るそのシーンで。

そのオフィーリアの狂気の場になると観客席の空気が変わったのを感じた。全ての視線が舞台のその一点に集中した。まさしく「悲劇」を象ったシーンだった。

この「髪を抜く」に近い演出を見たことがある。気が触れたオフィーリアが最初に登場するシーン、その手には長い髪の毛の束が握られており彼女のロングヘアを見ると短く切り込まれている....といった演出だ。(5〜6年前、アメリカの劇場での舞台映像)

恋愛報道がなされ坊主にした峯岸みなみを見た以来のショッキング.....
しかしこの場合の髪を切る(失恋を連想させる)よりも黒木オフィーリアの演出のほうがより自傷行為に向かっている。この「自傷行為」というのは岡田将生演じるハムレットにも共通して見られた。(首吊り、など。)
この自傷行為に向かう若者、というのはこのハムレットの舞台の重要なキーワードだろう。

黒木は新聞のインタビューで次のように語っていた。

「おかしなことをしていてもオフィーリアの中では筋が通っていて、意味がある。そこを見せられたらと思います」

筋の通った狂乱.....それは古典的な女性像、花配ってウフフの、言わばロマン主義的なオフィーリアではなかった。派手ではなく、大人めだけどその中に秘めた情念を感じる。

客席からその演技を観て、まず私が感じたのは親近感である。自分も明日にはこうなるんじゃないか、そんなことをつい考えてしまった。
川で溺れるシーン(劇団四季verではファンタジックな演出がされてた?)はなかったけど、それもまたリアルだ。

古典劇はセリフも難解だったりと一見敷居が高く見えるが、演出次第でこんなにも見え方が変わってくるのだ。シェークスピアって面白い。

「黒木華のオフィーリアが観たい」−これにてひとまず完。最後まで立ち見の足元の裸足が臭くないかとヒヤヒヤしてしまったので、できれば今度のハムレットは座って観たい。

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