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「ノラさんに」 — 人形の家Part2を観て

2019年8月9日金曜日午後6時28分、代々木駅東口から新宿方向に真っ直ぐ行った所のニトリ、そのフロア角にあるエレベーターに乗り込んだ私は7階の紀伊国屋サザンシアターに向かっていた。汗ばんだ右手に午後7時より開演の舞台「人形の家 Part2」のU-25チケットを握りしめていた。

『あれから15年…ノラが帰ってきた!!』

このセンセーショナルなキャッチコピーに惹かれ、すぐにチケットを買った。主演永作博美、演出栗山民也。この日は舞台の初日、観客側にもより大きな期待と緊張が入り混じっていた。

オリジナルの「人形の家」とは言わずもがな、近代演劇の父と称されるノルウェーの作家イプセンよる近代古典の名作である。"ドアから出て行く" そのたったひとつの動作だけで世界演劇を変えてしまった主人公ノラ。1894年に発表された当時女性の解放と自立を鼓吹した内容で物議を醸し、女性解放運動について述べる時にはほとんど常に言及される作品である。

日本でも、この「新しい女」の登場は一大センセーションを巻き起こした。1911年9月の初演から早くも4ヶ月後に青踏は「人形の家」特集号を組んでいる。

しかしその受容は必ずしも肯定的なものばかりではなかった。平塚らいてうの「ノラさんに」はノラに宛てた手紙の形式をとった批評であり、その中でらいてうはノラの家出を本能的、盲目的な幼稚な行為であると批判している。らいてうは、その家出が真の自覚から来たものではなく、むしろこれからが本当の自覚であり、このままではノラの行く手には「第二の悲劇」が待ち構えていると述べている。


ここでらいてうが見据えてるのは表層的で矮小化された “女性解放”ではなく、より高次の次元における人間解放であった、と思う。それは虚偽の自己に隠された真の自己に向き合うということ。

らいてうが「ノラさんに」でその後の第二の悲劇を予見してから百年以上の時が経った今日、ノラが「家」に帰ってきた。出たとき閉めたドアを再び開ける、ノックの音が、間隔をおいて三回。

ノラが家を出た後どうなったのか、誰もが想像したことだろう。ある者は堕落し売春婦になったと書き、生きる道なく家に戻るのだと言った者もいた。

劇中の設定ではノラが帰ってくるのは家出してから15年後のこと、彼女はキャリアウーマンの装いで帰ってくる。ノラは家を出た後作家になり、経済的自立を遂げていたのだ。しかも作家として、世の女性へ自由の本質を問いかけ、解放を鼓舞している。だがそんな最中、法の暴力により再び窮地に陥り「家」に帰ってくる。

この舞台「人形の家 Part2」は、いたってシンプルな構成である。劇的な舞台転換があるわけでも、複雑な人間関係があるわけでもない。登場人物はノラと夫、乳母、娘の4人。主にそれらの二人芝居。舞台の肝は各々が自らの思いを伝えようと発露する、肉体に刻み込んでくるような台詞の応酬–––「対話」だ。




この舞台で私が強烈に印象を受けたのがノラの娘、エミリーだった。このエミリーは原作の「人形の家」ではほとんど描かれていないキャラクターである。幼い頃に母が家を出て行き、乳母に育てられたエミリー。成長した彼女は結婚制度を批判し愛の自由を説くノラに対し、こんな台詞を放つ。

「私は抱きしめられたい。誰かのものになりたい。私は誰かの何かになりたいの。」

魂の叫びだった。エミリーの言動にはノラの行動の反動、揺り戻しも当然あるのだろう。そのとき、エミリーは私だった。ああ、「誰かのものになりたい」–切実にそう想ったことが私もある。 主体化Subjectation=服従化に対する情熱的な愛着、それなしには生きてゆけないのだから。 

母と娘の物語、それはエミリーだけでなく乳母とノラの間にもある。観劇前から夫トルヴァルが主要キャストであることは想像するに難くなかったが、劇中私が特に観入ってしまったのが乳母、ノラ、そして娘のエミリー、この三世代の女たちの対話だった。

原作は140年前であっても、この舞台はたしかに現代の実感を伴うものであった。ノラの周りではつねに複数の声が鳴っている、そのポリフォニーの中には私の声もある。


かつて世界をガラリと変えてしまったヒロインの現在はきっとそんなに華やかなものでもなく、他者との対話を通して真の自己に向き合う中で、ノイズに埋もれる自分の声を聞き取り続けることにもがき続けるしかないのかもしれない。
「今から二十年か三十年か経っても世界は、わたしが言うような場所にはならないでしょう、わたしがそうしなければ」とノラは言う。
もし『人形の家Part2』のさらに続編があるとすれば、それはどんな物語になるのだろう。それは三度目の悲劇か、喜劇か。


永作博美はもともと好きな女優さんですが、もともとアイドルとしてデビューし、その後低迷期を乗り越え今の役者としての地位を確立した、という。(観劇後、飲み屋で居合わせたおじさんが教えてくれた) そんな経歴もあってか、ノラを演じるにとても相応しい役者さんだったのではないかなと思いました。

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