人を羨ましいと思う話

こんばんは。
やばい、「愛の不時着」について熱く書こうと思ってどう書こうか考えていたら日が経ってしまい、
現実も変化してきて「自分の気持ちを語る」みたいな方に戻ってしまいました(笑)

ただ、「愛の不時着」熱はまだ全然冷めてないし、全然見返すしまじですごいドラマだなと思います。(梨泰院クラス沼にもハマらなければ…)

とりあえず今日は自分の気持ちをまた整理するためにnoteを書こうと思います〜

愛の不時着もまた時間ができたら語っていければなと。

さて今日の話題は「人を羨ましいと思う話」ですが、やっぱりこのSNS時代人と自分を比べないという方が無理なので、誰もが感じる感情でもあるかもしれません。

ただ、私が今回「羨ましい」と思った子は、SNSの中の人ではなく、実際の友達で実際に会って仲良くなって羨ましいと思った子。

端的に言えば「自分が幸せになること、人に好かれることになんの疑念も持ってない子」です。

こういう子、めちゃくちゃ羨ましいです。

幼い頃から両親に自分の意思を尊重してもらいながら大切に育てられてきて
中〜高は恋愛も結構してきて、友達も多くて、大学もサークルとかいろんなコミュニティとか入って充実して、社会人になってもバリバリ働いて意識高くて、男女問わず友達もめちゃめちゃいて、もちろん彼氏もいて、SNSも自分の発信のために上手に使っているような子。

いわゆる「イケイケ女子、キラキラ女子」です。

ぶっちゃけ私こういう女子苦手でした。笑
今でも別に得意ではないかもしれない。

こういう子達って自己肯定感にまみれすぎてて、人への配慮に欠けてるのかななんて勝手に思ってました。

しかも普通に嫉妬もあった。

自分が好きになれなくて、信じられなくて、「どうやって自分を好きになればいいんだろう」なんて悩みまくってた私からすると、元から「自分を愛すること」ができて、人に愛されることになんの疑念も持たないイケイケ女子、めちゃくちゃ羨ましいです。

しかもこういう子って行動的だし人が好きだから、すごく性格がいいんですよ。
なので男女問わず皆に好かれる。


私は、幼い頃や思春期で人を中々信じられなかったりしたので、今でも変に警戒心や人への批判的思考が強くて、人を信じるまでに結構時間がかかってしまう。

別にそれが悪いとは思ってません。そのおかげで変な団体からも抜けられたし、変な人にも引っかからないし、仕事でも批判的見解って絶対必要。

でもやっぱり「人」を好意的に見れるってすごく良いこと。人生が楽しくなるよねって。

あと、1番羨ましいことは、
そういう子はあまり批判を恐れてない。
批判されても、自分を愛せる強さがある。
ちゃんと発信できるので、批判もされるけど、届く人にはちゃんと届いてますね。

私はめちゃくちゃ批判が怖い(笑)
めっちゃ気にしちゃうし。
批判気にしちゃうと何もできないんですけどね。

私の性格はすごい頑固だし、集団行動苦手だし、1人好きだし、干渉されるのも嫌いだし、なので、「自分中心」なんです。

自分の意思を持ってる芯の強さは私の良さでもありますが、
もう少し緩やかになってもいいのかなとその子を見て思いました。

恥ずかしいことやってもいいし、小馬鹿にされてもいいし、嫌われてもいいし、批判されてもいい。意思を別に持たなくてもいい。

自分を持ちつつ、あまり頭で考えすぎず、時には流れに身を任せていけたらいいな〜と思いました。

おわり





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