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切り絵【カンガルーの運動会】

前回、地域活動支援センターへのイメージ絵を描きました。
その絵を切り絵にしたものを、訪問看護師さんにお見せしましたところ、訪問看護ステーションの絵も、描けるようなら描いてほしいなという、お言葉を頂きました。
ということで、今回は訪問看護のイメージ絵を切り絵にしました。

患者が訪問看護について、どういったイメージを抱いているのか、どんな思いで利用しているのかということを、知りたいけれど、なかなか本音を聞ける機会は少ないものなのかもしれません。

子どもの頃、話そうとしても言葉がなかなか出てこなくて、どもってしまったりするのが嫌で、つい無口になってしまいがちだった私は、家族間では、自分の気持ちを絵に描いて「今こんな気持ちだよ」を伝えていたことがございました。

会話が出来るようになった今では、言葉を紡ぐことを意識して生活しておりますが、今でも、気持ちや考えていることを、絵で表現して良いのなら、会話よりも、絵を描いて伝えたいと実は思っております。

もし自分の声や話す能力を、ある日突然失ってしまったなら、不便さを感じることはあると思いますが、私は、きっと毎日絵を描くような気が致します。
「今こんな気持ちだよ」を描き続ける生活は、言葉のコミュニケーションが少ない比較的無口な今の私よりも、自分の気持ちを伝えることが容易になるような気がしてならないとも思っております。

祝日などが続き、出掛けず家にいる時間が長くなると、外に行ってたまには風景などを描きたいと思うことがございますが、外がだんだんと寒くなってくるにつれ、長時間外にいるのは大変だろうなとも思い、写真を撮って、家で絵を描くのが良いのではないかと思っている今日この頃でございます。
しかし、スマホのカメラすら使いこなせず、写真を上手に撮ることができないために、カメラの勉強でも始めようかなと、近くにあるカメラ教室を検索してみたり、こうして無限にやりたいことが拡散していく、いつもの平常運転でございます。

ウサギに見えると思うのですが、カンガルーのつもりで描いております。
カンガルーを直にみたことはおそらくないと思うのですが、お腹のポケットで子供を育てていることくらいは存じております。

人間は生まれた子供をポケットには入れませんが、カンガルーのお母さんがお腹のポケットに子供を入れている絵を見ると、大人である私も子供の心を常にポケットに入れてるから、カンガルーと同じだなと感じたことがございました。
私だけではなく、子供から大人に成長すると、子供ではないような気になっていくものでございますが、どんなに大人として立派になっても、誰しもがずっと子供の心も持ち続けているような気が致します。

年齢によって大人なのかどうかは、はっきりと線引きされている側面もございますが、それとは別に、もしも、自然体である子供の姿が、社会性によって武装されている姿を大人と呼ぶのであれば、年を取り、社会から離れた生活となるにつれ、子供に戻ってしまう現象は、自然なことのように思います。

本来はみんな子供のようであるけれど、社会の一員という自覚が、大人の顔を生み、その間、子供の心はポケットの中で大事に守られているのなら良いのですが、子供というのは遊ばせておくことが一番なのではないかとするならば、誰にも見せることなく、自身の心の奥底に、幽閉しているとしたら、きっと息苦しく、だんだん元気がなくなってしまうのではないかと思います。

子供の心を遊ばせるために、なんとなく運動会が良いのではないかと思いました。
学校に行って仲良しのお友達が出来たなら、お友達と協力して、競いあって、一緒に熱狂することが、遊ぶということでもあり、学校が子供たちにそんな機会を与える居場所であれば、大変喜ばしいことでございます。
遊びの中に大人になるための訓練が時折含まれていることも大事で、子供にとってそれは、成長を子供たち自身に期待させることに繋がっていくと同時に、その心は、大人になっても、いつまでもポケットの中で育み続ける大人としての大事な原点となるような気が致します。
私は運動会が楽しめる子供ではなかったからこそ、運動会を楽しむことができる子供たちを羨ましく思っておりました。

子供の頃はあまり楽しい思い出は無かったけれど、大人になってから、自分の子供の心を遊ばせることを思いついた日から、私自身は、大人でいることの気疲れを減らすことが出来たように思います。

自宅に来てくれる訪問看護師さんは、私のポケットにいる子供の心にも声をかけてくれているような気がしております。

心理士さんにカウンセリングを受けるとき、自分のことを話しているつもりなのに、大人の自分が紡いだ言葉に、意図しない嘘があったりして、本質を見えなくしていることがよくありました。
カウンセリングルームに赴き、話すことで知ってもらわなければならないというプレッシャーを難しく感じているときがございましたが、訪問看護師さんに、直接家に来て頂き、生活を見てもらうことは、話すことよりも、より単純にありのままの姿を伝えられているような気がして、そのうちに私の子供の心もむくむくと動き出してきたようなイメージでした。

私の絵や、床に広げている作品、散らかった材料なども、そのままにしているので、いつも見てもらっておりますが、今も昔も家の中で遊んでいることが多い私みたいな人にとっては、私自身がこうして遊んでいる様子を誰かに見てもらえていることも大事なことなのだと思います。

実はあまり運動会に参加したことがない私は、運動会の内容についてはあまりよく知らないのですが、運動会と言えば晴天、ということで太陽を描きました。
実際に見たわけではないのですが、国旗の旗とか、三角の旗がたくさん飾られているイメージがありまして、三角の旗を最初は枠の中に描いていたのですが、枠の中の絵が膨らんでいくにつれて、三角の旗は、だんだん外に押しやられ、結局外枠になってしまいました。
地域活動支援センターのときとは違い、結果的に枠から絵がはみ出さずに、収まっているというのも、社会性や生活感の中にあるように見えなくもなく、良いような気がしております。

左下の丸は、お皿のようにも見えますが、メダルのつもりでございます。
私のように実際に運動会でメダルを取ることは出来なくても、子供も大人も、日々頑張っているすべての人に、頑張った大賞のメダルは贈られているように思っております。
小さな苗木にしっかり太陽の光を当てて、丁寧に育てていければ、のちに咲くのは花でもあり、メダルなのではないかという思いを描きました。
描いているうちに、太陽の光がスポットライトに見えなくもないと思い始め、光が当たる、誰かに見てもらえているという幸せが、成長には欠かせないのだろうという気づきもございました。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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