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水に流す

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

そして世の中に生きている人とその住処もまた、この川の流れと水泡のようなものである。

過去にあった嫌なことを、無かったことにするそれを「水に流す」というように、水の象徴性は「流れる」ことにあります。

日本では古くから、人間の直視できない罪の意識や、心に感じるけがれをは祓うために、また目には見えない願いや祈りも、水に流す習俗がありました。「水に流す」は「見ずに流す」ともいえるでしょう。

しかしこれは水が清らかであった時代の話。今ではこの「見ずに流す」をおおきく誤解し、海に川に、さまざまな物質個体が流されています。その無自覚の代償のように、この頃の私たちは心のけがれを水に流すこと、心の整理や解決が、上手にできなくなっているように見えるのですが、これも誤解でしょうか。

私たちが生きる上で、また生きる場所において、水は常に寄り添うように在るものであり、ゆえに水があるかないかに意味を求めることは多くありません。けれどこれも、水に恵まれた日本人固有の感覚だったのかもしれない、そんなことを思いました。雨、降らないかな。今日もいちりんあなたにどうぞ。

タマスダレ 花言葉「期待」

タマスダレ


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