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ひきだしの花

昔、ある先生のアシスタントをしていた頃がありました。することは、先生のお世話、だんどり、お片付け、稽古の準備。などなどです。

昔は「丁稚(でっち)」といいました。今では考えられないような働き方も、あの頃には当たり前、といえた時代があり、そんな慣習が廃れる際(きわ)の、私たちは最後の世代だったと思います。

先生は厳しく、口には毒がある人でした。一方で、気持ちにねじれがない人でした。美しいもの可愛いものには素直で、それを話すときの顔は少年で、ふっとした心地よさがあり、やさしい心がありました。

そしてたいへんな知識人でもありました。文化芸能に造詣が深く、歌舞伎、歌劇、絵画、芸能、なんでもよく知っている。どの引出しを開けても、あけたなり、バラボロと中からあふれ出る。こぼすし侭だし、散らかるばかりで、下々は、それを拾って集めるのも仕事のうちでした。

バラやボロをしまうのは、元の場所であったり、自分の懐もありました。ときには万引きするような裏を感じたこともありましたが、今となれば、もっと欲張ればよかったと思います。

忘れられない言葉があります。

「あんたたちは、習ったこと教わったこと、知ったこと、なんでも引き出しに入れるでしょう。花でもなんでも、習ったら習ったまんま引き出しに入れて、それを閉めたらそれっきり。綺麗にしまえたと喜んで、引き出しが増えたと喜んで。

でも閉めてしまったら、中が見えないでしょう。あんた達のことだから、どこに入れたかも覚えてないでしょう。

どれだけ引き出しが増えたって、何を入れたか忘れたら意味がないでしょう。すぐ使えなくちゃ意味がないでしょう。使わなかったら出来るようにならないでしょう。でもあんた達は「引き出し増えた」って喜ぶでしょう。

だからいつまでたっても、ヘタなのよ。」

開けっ放し、零れっぱなし。なにを為すときも言うことも、お宝なのか屑なのか、凡にはさっぱりわからない。我儘で手のかかる人でしたが、けれど花は、どの花にも自然に乱れる美しさ、おもしろさがありました。

今あらためて振り返ってみると、あんなに雄々しい花でさえ、花が笑って見えたのは、あの引き出しから、こぼれた花だからだったんでしょう。それも自らのために奔放に。

こうして思えば、引き出しは、開けっ放しにしとくくらいが丁度いいんだと思います。花にとっても、我らにも。今日もいちりんあなたにどうぞ。

スイートピー 花言葉「優しい思い出」

赤いスイートピー


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