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ひとりで観覧車

大観覧車ってのに乗ってみよう、と言い出したのは彼だった。
職場の同僚から聞いてきた情報らしい。
わちゃわちゃしている遊園地はあまりお好みではない彼だが、景色がいいという話で観覧車に乗ることは少し興味があるようだった。

 それだけでなく、もう一つ彼の提案には理由があった。
私たちは長く付き合っている恋人同士だが、必ずしも頻繁に会えるわけではない。
彼は銀行家の息子ではあるが、実家の仕事にはあえて関わらず、大学の専攻だった土木の知識を生かして都市計画の仕事に携わっている。
 私の方は、音楽大学を出たが演奏は趣味の領域に留め、音楽専用ホールの運営の仕事に携わっている。つまり、休みが合わないことが多い。
 だから、「観覧車に一緒に乗らないか」と言う彼の申し出は、長い時間一緒にいられない私へのささやかなデートのお誘いだったのだ。

 だが残念なことに、私がホールの事務所を出る時に彼から電話があった。
「トラブルがあって職場を動けない。いつ解決するかわからない」
私が携帯を構えて沈黙していると「すまん」と謝られた。

 大観覧車は夜9時迄営業していて、夜景を見て、軽くお酒を飲みながら食事をしようと言う話だったので、夜の時間が空いてしまった。
 彼が席だけ予約したお店にキャンセルの電話をし、そのあと暇になってしまった私は考え込んだ。

 暇、だなあ。

 家には帰りたくなかった。親元から職場に通っている私は、今日は彼と会うと両親に伝えてある。微妙な時間に帰宅すれば詮索されるし、それに応える気力もなかった。

 乗っちゃおうかな、ひとりでも。

 ふっとそんな風に思って、私は反対側のホームへ急いだ。
 これからならまだ間に合う。そう思った。

 いつもいつも彼がそばにいなければ、何もできずに泣いているだけの女の子でいたくなかった。

 当日キャンセル、は、はじめてのことだったけれど、ひとりでいろいろ考えるのにちょうどいい時間だって思った。

 守られることは嬉しいけど、守られているだけの無力な人間でいたくない。ひとりの時間を楽しめる、そんな自分でいたいと強く思った。

「うん、大丈夫」


 今、私は観覧車に乗りたいと思った。これは正直な気持ち。
だから、私は一人でも観覧車に乗ってくる。


 でも、一人で観覧車に乗って夕暮れの空を窓から眺めていたら、ちょっとだけ寂しくなった。本当は一緒に観覧車に乗って、同じ景色を見たかったんだ。

 その後、ひとりで観覧車に乗ったと彼に告げたら、「暇なやつ」と呆れられた。
「待ちきれなかったから下見で乗っちゃった」と告げたら「子どもか」と返された。

「夜景が綺麗だったよ。次は、あなたと乗りたいな」
「…わかったわかった。予定、あけてやるから待ってろ」

私の肩を抱き寄せて、くしゃっと髪をかき混ぜる彼の腕に、私はそっと自分の腕を絡めた。

 ひとりでいられるからきっと、ふたりでいても楽しい。

BGM: H ZETTRIO「RE-SO‐LA」

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