肩こりから考える

 数日前、肩こりがひどかった。腕が上がらないほどではないが、左の肩甲骨の斜め奥、背骨周りの筋肉が張っているように痛かった。マッサージをしてみても、長めに風呂に浸かってみてもなかなか良くならなかった。

 肩こりというと、梨木香歩さんの「椿宿の辺りに」を思い出す。まさか、自分の肩こりにも、痛みを通じた先祖から通ずる、何らかの象徴的な意味があるとは思わなかったが、じゃあ、なんでこんなに痛いんだろう、と疑問に思った。

 調べてみると、肩こりは単純に痛みのある筋肉部分を揉んでも意味がないらしい。その部分を引っ張っていたり、体を挟んで反対側で支えていたりする筋肉も伸ばさなくてはいけないらしい。なるほど、確かにそうだ。筋肉に限らず、体は部位で分かれているわけではなく、それぞれが連動しながら動いている。

 痛む部分を収縮させながら、その周囲の筋肉にも注意を向けてみる。すると、左の腕の筋肉の張りにも気づいた。もう少し、注意を広げてみる。手の甲の辺りの、薄い筋肉も動かし方によってはうっすら痛む。

 さらに広く、さらに広くと注意を広げていくと、どうやら体の左側の筋肉が硬い。それらの筋肉が伸びるようにストレッチをしてみると、肩が痛いときにいつもしているストレッチとはまったく反対の動きだった。その新しいストレッチをしてみると、肩甲骨の周りを中心にすっと軽くなったように感じた。

 体全体に注意を向けることを繰り返していたので、日常生活でもいろいろなことに気づいた。寝るときに左側を下にしがちだったり、自宅の席でやや右向きに座る癖があったり、歩くときに左足の歩幅のほうが広かったり。つまり、左の背中と左の足の内側の筋肉があまり動いていないことに気づいた。原因はこれらじゃないか。日ごろの、体の動かし方、使い方が、その長年にわたる癖が肩の痛みにつながったのではないだろうか。

 この肩こりに限らず、何気ない習慣が気づかないうちに大きな何かにつながっていたり、解決策だと思っていたことがまったくの徒労に終わっていたり(でも、それに当人は気づいていなかったり)ということはきっとたくさんある。何か問題が起きたとき、その問題の部分に注目しがちだ。そして、その部分をどうにかしようと注力する。それでも良くならないからさらに力を注ぐ。これが悪循環だ。解決しようとするのに、改善しない。エネルギーばかり消費していく。そんなとき、もっと全体を見る目が必要だ。俯瞰というよりは、全体の中の個々に注目する力。その個々の部分と別の部分との相互作用を理解する力。そんな力を養いたい。

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