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海の思い出

岩手に住んでいた小学生時代、父によく海に連れて行ってもらった。

宮古、吉里吉里、釜石、陸前高田…
まだ道が整備されていなかった頃、盛岡から海へ行くとなると、
車で3時間〜5時間かかった。

そんなに時間のかかるところへ毎夏、よく連れてってくれたものだと思う。

我が家は車を運転できる人がいなかったので、いつも父の友人が車を出してくれた。

昭和40年代、ウニや昆布が獲り放題?!だった。

宮古浄土ヶ浜では岩伝いにちょっと潜っただけでウニが獲れた。
沖の方に行くと、昆布がひらひらと泳いでいて、お腹に帯のように巻いて浜辺に戻った。

結構泳ぎは達者だった。

ある年、初めて砂浜の海岸に行き(岩手は砂浜が少ないと思う…)、ひと泳ぎしてからスイカ割りをしようと砂浜にスイカを埋めた。
母が、このまま置いてたらスイカが熱くなるからと埋めたのだった。

泳ぎ終わって砂浜に上がり、さてスイカを掘り起こそうとするも、我々の荷物がどこにも見当たらない。

泳いでいるうちに私たちが潮に流されていたようだ。

母が埋めた時の目印を一生懸命探して、やっと見つけた時は、あった!という喜びより、こんなに流されていたんだという怖さの方が強かった。

海って流れてるんだ、というのを初めて知った。



それからしばらくは海には行かなくなり、久しぶりに行ったのは大学を卒業してから。

大槌の小学校にピアノを弾きに行った。
音楽室でのミニコンサートだった。


その28年後…
東北大震災で小学校は津波に飲まれた。
…ピアノも。

ピアノを弾きながら教室の窓から見えた大槌湾の海の煌めきは今も新鮮に心に焼き付いている。






※ヘッダーは宮古市浄土ヶ浜

#わたしと海

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