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「わからん」が口癖の従姉妹

何したい?と聞いても「わからん」。
GUで服を着てみても「わからん」。

好きな時はちゃんと「すき」と弾けた笑顔で教えてくれるのに、そうじゃない時は「わからん」ばかりの中学生の従姉妹。だんだんと昔の自分と重なっているのが見えて応援したくなった。


私がかつて「わからん」と言っていたのは、あまりピンと来ていないが周り(主に家族)の気持ちを察しすぎて「嫌」と言えずに諦めた時だった。

例えばお店で試着するとき。

親や姉が「あんたこれ似合うから試着してみな」とすすめてくれた手前、試着した姿を鏡でどれだけ見てもしっくり来なかった時に「いらない」ではなく「わからん」と曖昧な立場に逃げていた。

仮にいらないと言えたとしても「えー似合ってるのに」と食い下がられたり、「あんた服持ってないんやから買いな」と押し付けられたりと、私の意見をとことん無視される。それでもいらないと突っぱねると、「ふーん、じゃあ知らん」とどこかに消えてしまう。

しっくりくる服だったときに「この服いい、買う」と言うと、「ほら私の言った通り!」とすごい喜ぶのを知っているから、その反動というか対極の反応が怖くてなかなか「違う」言い出せなかった。

高校生まではそれでも生きてこれたが、大学生になって実家を出ると、そのツケが回ってきた。

「わからない」を積み重ねた結果、「好き」すらもよくわからなくなっていた。周りの反応で自分の意見を決めていたら、家族がいなくなった途端判断ができなくなった。本当になにも分からなくなってて、辛かった。


旅行先を決めるときもそうだった。

「あんたどこ行きたい?」に思いついた場所を答えたら「それは遠い」「びみょーやな」などと言われて、納得する場所を言えるまで否定されるか、採用されても「私は興味ないけど。何がいいんこれの」というスタンスで観光することが多かった。こんなことになるのなら…と思うと意見を言うのが面倒で、「わからん」に逃げてしまっていた。

自分が意見を言わなくても、最終誰かが決めるので黙っていても何とかなったのも大きい。


きっと今の従姉妹もそんな状況なのだろう。親が最終的な決定権を持っているが故に取り合ってくれないことも多くて、「わからん」でその場を凌ぐことを覚えたのかもしれない。

私はそれで辛かったし、周りの目ばかりを気にして生きるのよりも自分の想いを大事に生きた方が人生楽しいから、従姉妹には自信を持って意見を言える、特にnoと言える人になってほしい。


そうなるには、と考えてみたが、やっぱり「頭ごなしに否定しないこと」と「会話をしてお互いの考えを擦り合わせること」に尽きる。

こんな当たり前のことが、家族が相手だと難しくなるが、家族が人格形成のかなりの部分を占めているのを考えると、家族だからこそしっかりやらないといけないと思う。

実は自分ができているかも怪しい。

まずは2年くらい拒否してきた夫の「焼肉行きたい」を週末叶えようと思う。


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