今日から毎日、ほんとに少しずつ、勉強します。
朝のスズメさんを撮って気持ちを落ち着かせました。
身近な野鳥の仕草に癒されます。
お城の友の会に入会して、講演会に参加したのは今日で三回目。国友一貫斎に始まり、石田三成と大谷吉継。今日は合計3回開かれるミニ講演会でした。
『近江・湖北の万葉のうた』(第1回)
悲劇の皇子ー有間皇子・大津皇子ー
まず、私は日本古典文学がとても苦手です。勿論現代文学も。それでも必死に文章を書いています。
自分が読んでみたい物語を文字で著す。(横道逸れてなかなか進んでいないです。)
苦手だけれど下手の横好き。とでも言うのでしょうか?
まさかの万葉、和歌に手をつけることにしました。
講師:東 重義氏
お知らせチラシには「万葉研究家」とありましたが、先生ご自身から「近代短歌」主に「北原白秋」を専門に研究されていると伝えられました。ただし、先生の恩師が万葉集の研究者と言うことで、万葉からは逃れられなかったという事らしいです。とても謙虚な先生です。
「短歌と和歌の違い」
ほぼ同じ。
和歌とは「五・七」の音の言葉を組み合わせて作る詩(基本形態)で、これに「五・七・五・七・七」としたのが短歌という形式の和歌。
(これに関して知識がないのでサイト「小笠原学園」 https://ogasawara-gakuen.jp で調べました。最初は?となりましたが、「音の言葉を組み合わせて作る詩」とあり、五・七という超短文ではないということに気付いてほっとしました。ここで躓くと後々苦しい。)
そして俳句のような季語という縛りは無い。感じたこと、想いを美しいと思える言葉で歌う。
和歌(やまとうた)・・・大和言葉は美しい響きですよね。
聞き手であっても読み手であっても、自分がどう「感じた」か。読み手は感じたこと、想いを詩に込める。聞き手はその歌に何を感じたかを感じ取る。(だからその歌を聞いてその詠み人の想いが「わかった」は正しくない)。
どういう風景が見えてきて、それがどんな風に感じますか?響いてきますか?
中学の頃から始まった古典文学(古文)が苦手だった理由が、「わかった」を聞いてくるからでした。古代人の想いなんかわかるわけないじゃん!?「どういう風に感じましたか?」と聞いといて、「これは正解ではありません×!」って感じたことに正解なんかないでしょうに(*  ̄︿ ̄)
先生の前置きは結構長かったですが、その前置きに無駄なものは一つもなかったです。
一。
滋 賀県(近江の国)が遥か昔はとても重要な地であったことを教えてくださいました。(まさかこの講義で歴史を学ぶとは思っていませんでした。)
・逢坂関、鈴鹿関、不破関、愛発関。
・七道:東海道(伊賀・伊勢)、東山道(美濃)、北陸道(若狭・越前)、山陰道、山陽道、南海道、西海道
二。
日本には三つの民族がいる。
・大和民族、朝鮮(大陸)民族、北海道(アイヌ民族)。
差別するわけではなく重要性からこのように言われていたようです。
・大和朝廷時代 日本海側を表日本、太平洋側を裏日本 滋賀県は「表」
・近現代 日本海側を裏日本、太平洋側を表日本 滋賀県は「裏」
三。
滋賀県(近江の国)と縁のある天皇さんについての話
・額田王
・神功皇后 (仲哀天皇の奥さん)初代女性天皇 明治に天皇から外された
けれどとんでもない女性天皇。
・継体天皇 朝廷のある大和(奈良)には入らず、周辺国に宮を造っては移
動し、それでも日本をうまく統治した人。奈良に入ったら殺されるから絶
対入らなかったらしいです。
※昔は「天皇」は死後に付けられたということを教わりました。
確かに平安漫画とかには「帝」はあっても「天皇」とは書かれてなくて、あの源氏物語も「帝」と書かれていたのを思い出しました。
「時の帝」云々…。「帝」のほうがしっくりくる。
四。
初代東大寺は滋賀(近江の国)の材木が使われていた。
奈良県出身なのに滋賀県を推しすぎる、面白い先生だなと感じました。
戦国時代も滋賀県は何かと戦乱に巻き込まれています。立地的に仕方のないことだけれど、古墳時代から地味だけど重要な地だったことを今更ながら認識しました。
いい先生だ。
本題は明日投稿します。
これからの勉強内容とは全く関係のない、いつも通りの写真を張り付けながら記事にしていきます。(お堅い勉強ではなく心安らぐ勉強になるように。)
万葉時代の文学ですから、完ぺきではないということをあらかじめ伝えられています。ですから私が聴講する内容は全て、先生の自論も含まれています。(これこそ「正解はない」だと思います。)私も勉強しながら、自論を展開できるようになれば良いなと思っています。
そして自分が読みたい「異世界物語」の中に組み込み修正、再投稿できるように努力します。
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