怒りを身につける
わたしはおしゃべりではあるが、
怒りや、悲しみを表現するのは苦手だ。
これまで自分の中の怒りを肯定できなくて、
「なんてちいさい人間なんだろう」
「感情でひとにあたるなんてエゴでしかない」
と思って生きていた。
けれどこの1年でわたしの中で怒る自分を受け入れるこころができたような気がする。
きっかけはとても単純で「周りの人が怒っていたから」だった。
「大人の女子校」という名目で、最近不定期で連絡を取ったり、会ったりしている人たちがいる。
性根がとてもやさしくて、頼もしくて、そして繊細な人たちが多い。
親、パートナー、周囲の人に翻弄されてきた経験がある人が多いのに
忍耐強い彼女たちをみて、
わたしはみんなガス抜きができたらなと思って交流ページにトピ立てをした。
「セクハラ・もやもやの墓場」という名前でなにも考えず、立ち上げたら
不定期に誰かの生きて もがいている痕跡が投稿された。
それを見ていると、みんな本当に我慢していたんだなあって思ったし、
これまでたくさんの違和感で涙を流してきたんだなと感じた。
主催者でずっと何年もあこがれていたおねえさまにも
「こんな場所を作ってくれてありがとう」といわれ
20歳のわたしにいくら説いても信じてもらえないようなハグをわたしは受けた。
そして、時間がたち、自分も案外気丈なふりをして
不愉快な気持ちをごまかしてきてただけ何じゃないかと思った。
たとえば、
クライアントの納会でBINGOの景品がTENGAだったことも、
画策されてTENGAを受け取ったライバル企業の人の隣に恣意的に座らされたことも、
飲み会で初対面の妻帯者にひたすら胸を凝視されたことも、
彼氏がいるだけでいつ会社を辞めるのか役員の夫人に事務所で騒がれたことも、経営者層がやるべき仕事を何事も経験だからと押し付けられたことも。
ぜんぶぜんぶ怒ってよかったんだなって。
これはほかのみんなからしたら小さな話だと思うし、
いじめにあったことも、ブラック企業に勤めたこともなければ、
痴漢に合ったこともないし、変なストーカーやDV男に付きまとわれたこともないラッキーなほうの人間の話だ。
けれど、そうやって自分の経験を大小で語ることもナンセンスだな、とも思った。
ただ、単純に怒っていいんだ。
そしてわたしは、怒りは時に人を自由にすることを知ってしまった。
嫌なことをされたらきちんと怒るし、なにが不快だったかを説明する。
マウントをとられて腹が立ったら
マウントとられないように勉強して鍛錬して
二度とそんなことを言わせないようにさせようと決意できる。
そして、単純なので人として熟してきたのではないかと、とても喜びながら今日も眠る。
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