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音を観ずる

先日「脳の配線が変わった実感」とつぶやいてから2日ほど経った辺りから、どわわ〜んん…と重苦しい感覚に襲われていた。視界が狭くなり、息がいっぱいに吸えないような。

なんだこれは?
と疑いながら1日半苦しみ、昨日の午前中に「抜けた」感。

今思えば、バックラッシュだったのだろうな〜。

新しい思考習慣が定着してきて、脳内の化学組成とかが変わってきて、それまでの状態に慣れている身体がそれに抵抗して出してきたホルモンに感情が動かされたのかもな…

などと、自分なりに解釈している。

昨日「抜けた」と感じたら、なんだか急に、旅行に行きたくなった。ひとりで、今まで行ったことのない場所へ。
私の本体が違う場所に移動したので、身体もそれに従って、今とは違う所に行ってみたいのかな。

というわけで、今すぐ旅行に行くのは流石にムリめなので、お天気の中、バスに揺られて少し遠出してきた。

今まで何度も車で通ったことがあるけど、一度も住んだことのない街の通りを、バスの窓から眺めていた。

夏を思わせる日差しが、草木の緑を眩く照らし、緑はそれに応えて呼吸を返す。

ああ、こんな景色を見るのは、ずいぶん久しぶり。気がつくと長い間、私は引きこもっていたみたい。

アイポッドで耳に音楽を注ぎこみながら、日曜の昼間、あたたかい日差しの中を走るバスの車中に乗り合わせた、見知らぬ人々。ほんのひととき、それぞれの生きてきた道の途中、それぞれの目的地に向かうまでの間、同じ場所で、同じ時間を過ごす、ファミリー。

完璧な平和。

そうしたら突如、慈愛のかたまりのような存在が、内側から私を覗き込んだ。

まるで優しい風が、この体の隅々まで張り巡らされた細い血管の先の先まで撫でて、今まで私が感じてきた、大きなものからほんの小さなささやかなものまで、ありとあらゆる〈悲しみ〉を、

知っていますよ

と。それは、知らせた。

私の感じてきたすべての悲しみを、その重み、深さ、ざらざらしたものも、飛沫をあげて轟く濁流のようなものも、線香花火のような、ちりちりしたものも、薄く皮膚に張り付いてなかなか取れないものも、全てすべて。

例えばどんなに愛し合っている人と一緒にいたとしても、お互いがそれぞれに感じてきたことは、この分離した個別の肉体という形を纏っている限り、別々の心臓を持ち別々の肉体に別々の血潮が流れている限り、絶対にわからない、溶け合わない、同じになれない。

私は昔々ある時、それに絶望して、そして何と「絶対に幸せにならない」と決めた。この生に、復讐を誓った。

あまりに強く誓って、自分で自分に課したその誓いの解き方がわからなくなってしまった。

知っていますよ

と、それは優しく告げた。

それは、知っていてくれていた。

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