【読む映画】『ビッグ・シティ』

夫婦間の逆転劇を 通俗に陥らず描く

《初出:『週刊金曜日』2015年9月18日号(1056号)、境分万純名義》

 2015年はインドの巨匠サタジット・レイの監督デビュー60周年。それを記念して、「シーズン・オブ・レイ」とうたうリバイバル上映が企画された。いずれも文学作品の映画化で、『チャルラータ』と『ビッグ・シティ』(注)である。

注 1976年日本初公開時のタイトルは『大都会』。なお日時は同年4月17日とされているデータベースが多いが(たとえば KINENOTE)、岩波ホールのエキプ・ド・シネマ第6回ロードショー《シーズン・オブ・レイ》(同年1月17日~2月20日)で上映されている。《シーズン・オブ・レイ》ではほかに、『チャルラータ』(1964)、『詩聖タゴール』(1961)、短編『心の眼』(1972)などが併映されている。後2作品はドキュメンタリー。

 レイ監督といえば、日本では、『大地のうた』に始まる「オプー三部作」の印象が非常に強い。だが、私は、監督およびその作品の輸入紹介のされ方に、長年にわたって疑問を抱いてきた。

 端的にいって、「オプー三部作」は、そんなにわかりやすい作品だろうか。英国からの独立前、寒村の極貧家庭が主人公だが、かれらはバラモンである。つまり、カースト制度最上位の僧侶階級であるがゆえに、日銭になる肉体労働があっても、それにつくことは禁じられるのだ。カースト制度とは、低カーストに対する差別の体系であるのみならず、高カーストをも拘束・抑圧する複雑なものである。

 このように、インドに関して、ある程度の知識をもって初めて、登場人物の価値観や行動様式が理解でき、上滑りなしに作品全体を味わえるようになる。レイ監督の日本公開作には、そういうものが少なくない印象がある。

 その意味での例外が『ビッグ・シティ』だ。
 英国からの独立後まだ数年のカルカッタ(現コルカタ)を舞台に、若い夫婦に焦点を当てる。銀行員の夫の給与だけでは生活できないため、妻は一念発起して訪問販売員の仕事につく。そこから「女の居場所は台所」と考える親世代と「冷戦」が始まったり、大黒柱たる地位が夫婦間で逆転したりする。

 やがて妻は、家族が最もその収入を必要とするときに職をなげうつ。その理由と夫の反応が見ものである。そして希望を伴った明るい余韻を残す。レイ監督の持ち味である、通俗に陥らない人間描写が素晴らしい。

追記 本来であれば無料視聴できる(だれでもアクセスできる)Einthusan にリンクしたいところ、Amazon Prime Video のほうにリンクしている理由は、画質的に多少はマシだと思うからである。各種の動画ストリーミングサイトにおいて、とくに B/W のクラシック映画全般にいえることだが、画質や音質に問題が多いケースも少なくない。名作についてはとりわけ、印象や評価を大きく左右しかねないので、より良い選択肢があれば、そちらを優先したいものである。

理想をいえば、旧作についてはやはり、DVD で鑑賞するのがベストである。

なお、私は Amazon アフィリエイトのアカウントを有しておらず、私の note 記事での Amazon リンクによるアフィリエイト報酬は、すべて note に入る。

監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
原作:ナレンドラナート・ミットラ
出演:マドビ・ムカージー、アニル・チャタージー、ハラドン・バナジー、ジョヤ・バドゥリほか
1963年/インド/131分

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