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視座を下げる

こんにちは。朝方早い時間に家を出ると、虫の音が聞こえてきます。日が沈むのが早くなって、やや寂しい気分になります。

思いつくままにキーボードを叩いております。

以前、働いていた時に「視座を上げよ」という様なことをよく言われておりました。その時から、不思議な言葉だな、と思っていました。要は、平社員であれば課長、課長であれば部長という様に、高い視点と人間関係を俯瞰して、それを踏まえて目の前の仕事にあたるべし、という教えだったと感じておりました。

それ以来、何となく視座というものは高い方がよいのだと思っておりました。

育児をする中で、特に子供が歩ける様になってからは、足元の風景に気が付くことが多くなりました。路傍の草木って本当にきれいで、しかも結構なスピードで咲く花や生い茂る草の色が変わっていくんですよね。

子どもと一緒に、あ、タンポポが咲いたね、とか、この花はきれいだね、洋服のコサージュに似ているね、とか、今まで見たことない花だね、とか、話しながら歩きます。

この時の視座って低いんですよね。

もちろん、実際に見ている視点も低いんですが、子どもに引っ張られてピュアな感性というか、きれいな心で見ている気がします。

育児のために郊外に越してきたことも関係しているのですが、子供と歩くことが増えて以来、季節の移ろいに敏感になり関心を持つ様になりました。

自分が子供の時、田舎でしたから特に小学生くらいまでは、草木を観ながら、愛でながら暮らしていたはずなんです。しかし、中学生~30歳くらいまで、忙しいこともありますが、路傍の草木のことを一切気にしていませんでした。

道端の草木や花の変化を観ていると、幸せな気分になります。視座が低いのだって、それはそれでよい気がします。

子育てで毎日クタクタになっています。サポートいただけたら子供のためにありがたく使わせていただきます!