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起業における自己理念とは。

今回の背景


アウトプットしなきゃな…と思っていた矢先の1週間の#進撃WEEK での特別講習の参加。
事業の存続に置いて一番重要なことは自己理念を過去を洗いだして「自分」や「自分が大事にしている軸」を浮き彫りにさせる、とのこと。

対外的にピッチする機会も増え、職歴を話すことはあっても「いまのベビー用品の事業にどう繋がっているの?」と思われることもあったので人生の棚卸しをするみたいで少し面白い。
ただあまり自分の過去を曝け出すことはないので根幹に触れる部分であればあるほど少し恥ずかしくもあるなというのが正直なところ。

ということで、人生でのターニングポイントを5選です!

人生におけるターニングポイント5選

カテゴリーで分けると「ざっくり」かつ「ありきたり」
エピソードを書いていくととんでもなく長くなりそうなのでどんな時代だったか、それを経てなにを大事にしようと考えるようになったのか、だけ記していきます。

中学校受験勉強


塾(SAPIXに通ってました)で初めてどちらが上とかどれだけ伸びたとかを競ったり比べたりした気がします。それまで友だちだった子と少しギスギスしたり、優秀な子の真似して少しでも自分も同じ習慣を身につけようとしたりして同じシャーペンと消しゴムを使ったりしてました。

大人になって振り返ると「別にあの時期にあんなにやらなくてもよかったんじゃないか」とか思うけれど、当時は親の思いもありすごく必死で。
この後中学高校と女子校に行く私にとっては、「初めて男子と対等に闘えたこと=勉強」だったなと思います。

6年間のヒマな私立生活と大学受験 

中高大学一貫の女子校に入学したわけですが、元々何かに熱中することが得意じゃなかったので部活もすぐやめ習い事も趣味もないまま毎日学校から家までの往復をする、帰ってもやることもない、そんな日々にヒマ疲れをします。多分一生で一番なにもしなかったんじゃないかな。中高生で旅行行けるわけでもなく爆買い出来るわけでもない。ヒマって楽しくないんです。
そこで本来必要ない大学受験の勉強を始めます。
具体的には塾に2種類通わせてもらいます。(最終的に大学合格までに4種類塾にいきました笑)
校外の友達も目標も見つけ多分少し活き活きし始めした。
必要に迫られてないけど自分で追い込みにいく、「勉強趣味」にすることにしました。
趣味のないわたしにとって、追い込めること•目標があることが趣味になるのです。

大企業への就職

国内の大手製造メーカーに就職しました。理由は「日本の技術をもって海外(アジア)の人の暮らしを向上させたいから」でした。
就活では、男子女子の区別をしない社風や性別関係なく活躍できそうなフィールドを中心に選んでいました。

海外、海外うるさい私に若手にも関わらず定期的に出張の機会をくれたりと、とても優しい会社でした。でも優秀な人も多い中で自分が思い描いたキャリアをそのとおりに進めるわけではない(海外枠は人気でした)という現実に直面して、
「サラリーマンとして組織の中で働くということ」、そして「企業組織の中で『女性』であるという属性を無視できない」ことを知ります。

スタートアップとして単身インドネシアへ

女性として扱われることが嫌で嫌でたまらなく、少しでも1人のビジネスパーソンとして必要としてもらえる場所を求めてスタートアップへ転職しました。
数万規模の大企業から4人目の社員としてのリスタート@インドネシア とても楽しかったです。
いや正直に言うとつらいことも多くてきっと週の半分は泣いていたし周りの日本人に比べて待遇はよくなくローカルの住むアパートに住んだので駐在員を羨んでいました。仕事でも悔しい思いも不甲斐ない思いもたくさんありました。けれど一度も帰国したい、とならなかったのはひとえに南国が好きで週末のリフレッシュが何にも代え難いものだったからだなと思っています。
私はバリやその他離島のビーチで飲むビールを生き甲斐にしていて、時間を見つけては片道4000円くらいのLCCに乗って離島巡りをしていました。
ここでは「大変でも好きなもののためなら乗り越えられる」を肌で感じていたと思います。

結婚・出産

社会人になった時は結婚願望も子持ち願望もなく、ただ出来るだけ男性と対等なフィールドで働き続けたいと願い続けていたわたしも予想外のプロポーズを経て結婚、出産まで一気に走り抜けることとなりました。
妊娠中や出産直後は自分の思い描いていた社会人像からどんどん離れていく衝撃に加えて、同じ働き方はできないという絶望もありました。

娘が産まれて変わったことは、「次の世代について考えるようになった」ことです。それまでは、「今その瞬間だけ生ける!」と刹那的に好き勝手やってきましたが、もしわたしが復職して子育て家事との両立の中で無理してガムシャラに仕事頑張ったとして、それが娘の時代も変わらなければ娘も無理してガムシャラに頑張るか諦める選択肢しか残っていないのではないかということに気付きました。
現に仕事をする女性の数も復職率も増えているのに状況は変わっていない…みな一人ひとりが無理して両立しようとしてきた結果が無理をする連鎖になっていると気づいたのです。
そこで、大して優秀でもない私のガムシャラにサラリーマン続けた結果はなにも変えないかもしれないけど自分の周りや後輩の優秀な人や娘が働き続けることは社会にとって有益であると結論づけて、出産から始まる子育て環境を「タスク軽減」という面から変えていき女性だけが両立すべきとなっているいまの慣習から「アウトソースできるところは極力自分たちでやらない」という新しい慣習にアップデートさせていきたいと考え、調達代行というサービスを始めるために起業に至りました。


6選になってしまうためエピソード5選には入れられませんでしたが、大学時代は本当に誰よりもモラトリアムとして謳歌していて週4でバイトして週7で飲み会して寝る間も惜しんで遊んでいました。大学時代は女性らしい振る舞いを全く求められなかったのがとても心地よかったし、ストレスが少なかったなと思います。

キーワード5選

  • 中学校受験:対等な評価「成果」

  • 6年間のヒマな私立生活と大学受験:趣味「改善」

  • 大企業への就職:女性としてのキャリア「仕組み」

  • スタートアップとして単身インドネシアへ:楽しむ「希望」

  • 結婚・出産:娘(次の人)のために出来ること 「革新」

これらのキーワードを組み合わせると、

成果を出すためには仕組みを整える必要がある。活き活きと希望を持つためにも仕組みを整える必要がある。それらを次の世代のために変革していくための社会構造の革新をサービスで実現する

要するに、
サービスで子育て革命を起こし、親の人生も輝き続ける社会を
となります。
(これが経営理念となるそう…)
荒削りだし、正直第三者に報告するには表現が稚拙な点も多いけどすごく正直な感じがしています。
こんな感じで自分自身や事業の整理に使っていきたいと思います!

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