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吉祥寺今昔話

なぜ井の頭線は高架なのか?

まだ中央線が高架ではなく平地を走っつていた50年代後半、私達の遊び場は井の頭公園、善福寺公園、等を走り回り釣りをしたりしていましたが唯一遊べない場所が玉川上水、学校の先生や親などかは絶体近ずくなと言われ実際に玉川上水のそばにいると、大人たちに注意されたし禁断の場所でした。
当時の私たちには誰かが死んだくらいにしかわからなかったですが太宰治が自殺した場所だったので当時の大人も敏感だつたのでしょうね。
今思うとあの頃の玉川上水は今と違い凄い勢いで流れていましたね何しろ現役で活躍していましたからね。
もう一つの遊び場が今のオデオン映画館前辺り.
そこには多摩青果の市場があり、午後になると市場も終わり誰もいないコンクリートの広場が出現、学校が終わつた子供たちの臨時の駅前ローラースケーエト場でした。
夏になると遊びはプールです井の頭公園にもプールが有りましたが水道水ではなくて井戸水だったので10分も浸かっていると唇は紫になるほど冷たくて後に取り壊されました。
その当時の井の頭線の電車は渋谷駅の広場にある緑一色カエル電車でしたが後にレインボウカラーのステンレス車になり井の頭線は駅と駅の間が近くスピードアップ出来なかったのですが車両にデスクブレーキ採用されてスピードアップその上乗り心地もかなりよくなりました。
私は井の頭線を通学に使っていたので朝夕階段を昇ったり下りたりしていましたがなぜ井の頭線は高架なのか?なんて疑問に思いませんでした。。
でも最近気になって調べてみると井の頭線延伸計画というのを知りました

その計画は戦後すぐ、米軍の官舎になつていたグリイーンパーク(現、武蔵野中央公園)にあった東京スタジアムへのアクセス線を計画、中央線をまたいで田無経由西武池袋線東久留米まで延伸計画がありましたが実際の東京スタジアムアクセス線は国鉄が三鷹駅より東京スタジアムまで開通しました。がしかし東京スタジアムは諸事情により1年で閉鎖井の頭線延伸計画も幕を閉じました。
調べてみると吉祥寺にも面白い鉄道事情が有りました後に昔話も交えて書きたい思いますので乞うご期待。

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