一般的な「夫婦の立場」が逆転して気付いたこと

前回の続き。

主人が体調を崩して休職した。休職はじめの頃はさすがに鬱症状が酷くて何も手につかない状態だったようだが、だんだん「何もしない」ことに飽きてきたのか率先して家事をするようになっていった。

そして私はというと、主人の家事・育児に甘えて家のことそっちのけになっていったのである。当然といえば当然のことだろう。仕事が終わってさぁ家事に取り掛かるか、と行動しようとすると主人から「もっとこうしてよ!」「このタオルの畳み方じゃダメ!」と怒られてしまうのだから。

主人がやってくれるから。

仕事が立て込んでるから。

主人は休職中だから。

実質いま稼いでるのは私だから。

そんな気持ちから甘えも出てくる。そのことによって「なるほど、世の夫たちの気持ちはこんな感じか!」ということが分かったので、その点についてアウトプットしてみたい。

1. 家事介入の隙がない

既にルーチン化されてしまっている主夫業だ。私の流儀とはまるで異なるやり方なので、今から「じゃあ洗濯しまーす!」といっても、主人に気に入られるはずがないのだ。

主夫とはいえ「主たる家事」のみ主人がやっているような状態だったので、例えばお風呂やシンクの排水溝の掃除や水垢取り、トイレ掃除といった「水回り全般」の家事は私が率先してやっていた。

また洗剤やトイレットペーパーの補充、ゴミ袋の購入といった「名もなき家事」のようなものも、全般的に私が継続して行っていたのである。

そういう意味では「分業」ができている、という風にも言えると思うが、主人からすれば「主たる家事」(炊事や洗濯・掃除・風呂のお湯はりなど)をしているのは自分という自負があり、それをやっていない私は「非協力的な妻」として映ってしまうのだった。

「掃除の邪魔。ここ今すぐ片付けて」

「畳み方が違う」

「コップも使わなければ今すぐ下げて」

「冷蔵庫の中、調味料置く場所ここじゃない。こっち」

なるほど、かつて育休中の私が主人に対して「何でこんなことも満足にできないんだ!」「お茶碗も今すぐ洗えば済む話じゃないか!なぜ洗わない!」と思っていたようなことが、そのまま自分に返ってきている状態だった。

かといって、流儀がまるで異なる上に「どうせ休職中の話ではないか」という気持ちが先行してしまい、やる気が削がれて仕方がなかった。言われたとおり「協力」はするが、果たしてそれを受け入れたかといえばそうではなかった。

「休職が明ければ元通り私のルーチンになるだけだ」

と思っていたので、非常に冷めた目で主人の主夫業を眺めていたのである。

2. 子どもの相手くらいしかすることがない

ただ、休職中の主人は「家事をするのが自分の仕事!」と思い込んでいるので、それを邪魔しないように、気持ちを逆撫でしないように、なるべくそっとしておこう、とつとめた。

なので、主人が夕飯を作っている間、お風呂が湧くまでの間、だいたいは私の手が空いてしまう。主夫業に勤しむ主人を横目にいそいそと仕事部屋に戻るわけにもいかないので、子どもたちの相手をするようにした。

キャッキャウフフとたわむれてみたり、絵本を読んだり。おままごとをして「娘ちゃんの作ってくれたハンバーグおいしい〜」「コーヒーのおかわりください」とやってみたり。

子どもたちとのふれあいは大事なのだろうけど、子どもの遊び自体が非常につまらないので、私にとってはとても苦痛で仕方がなかった。(母親失格だな、と毎回思ってしまうのだが。)

...よく「こんな発見があるよ」「子どもの行動は見てて面白いよ」とアドバイスされたりもするが、そういう話ではない。

子どもたちは同じことを繰り返すのが大好きで、「ルーチン」大魔王なのだ。その「ルーチン」の無限ループが苦痛で苦痛で仕方がないのだ。無限ループが彼らの成長にとってとてもとても大切だということは頭では理解しているのだけれど。

主人の休職前は、夕飯の支度こそ適当なものの、食器を洗ったり掃除をしたりという全般的なことを私が担当していたので、その間主人が子どもたちと遊んでくれていた。

主人は遊びが上手だし、子どもたちも「パパの体力」「パパの身体の大きさ」を分かっているので、体当たりしたりプロレスごっこのようなことをしたり、とダイナミックな遊びができてとても楽しそうにしていた。

それが逆転してしまったことに対する苦痛。

まぁそれも「休職中の今だけ」と乗り切った。

3. 自分から能動的に家事をすると怒られる(ので、やらなくなる)

1とも似通っているのだが、洗濯物の畳み方ひとつに口出しされるのである。結婚して5年。ずっと洗濯物を洗って干して畳んでの作業は主に私がやってきたことなのに。

何を今更。どのツラ下げて言うとんのやワレ。

という気持ちが先行する。が、ぐっと堪える。相手は鬱だ。鬱病の患者さんなのだ。正常な判断ができる状態ではない。ゆえに正常な会話が成立するはずがない。

鬱の野郎。さっさと主人から立ち去ってくれ。

そう思いながら、これも「今だけ」と頭を切り替え、適当にかわして乗り切ることにした。主人のやりたいようにやらせる代わりに、自分は何もしないようにしたのだ。

なるほど、世の中の夫婦はきっとこうやって「棲み分け」をしていくようになるのか。

4. 怒られる・ピリピリしているムードが嫌なので仕事に逃げる(以下負のスパイラル)

1-3までの全てにおいて言えることが、夫の「ピリピリムード」だ。

あぁーこれもまるで産直後の私を見ているかのようだわーと思い当たるフシがありすぎるのだが、とにかく一挙手一投足を「監視」されているような気分、とでも表現するのが適切だろうか。

とにかく、何をしてもどう動いても「そうじゃない」攻撃が始まるので、当然、気持ちの良いものではない。

とうとう「家事をする」ことを諦めて、仕事部屋に籠もるようになっていったのである。

そうすると余計に主人のピリピリムードが増幅し、終いには子どもたちにその矛先が向いてしまうのだった。ホント君は産後の女性かね?と思われるような、典型的な「産後の夫婦(逆バージョン)」になってしまったのだ。

対応策として

そんな生活が2-3ヶ月続いたある日、このままでは良くない・復職するにあたってのギャップが大きすぎると感じたため、主人と話し合ってみることにした。ざっくりまとめると、以下のような感じだ。

私も一人目出産後の育休中そんな感じだったから、気持ちもよく分かるよ。お仕事をお休みしないといけなくて、毎日することもないし、張り合いがないんだよね。だから家事に没頭するんだよね。

ただ、それはあくまでも「自分が好きで」やることなんだよね。「こうするべき」っていう考え方に凝り固まっちゃうと、途端に窮屈になるし、家族にもそれを押し付けちゃうことになるし、ギスギスしちゃうよね。

だから、「好きなこと」をするようにしようよ。「好きなこと」を「気が向いたとき」にすればいいと思うよ。

...とは言っても本人は鬱症状で休職してる身なので「べき論」から逃れることはできないのだが。ひとまず妻としての気持ちだけはシッカリ伝えることにしたのである。実際、耳を傾けてはくれてもそれを理解するまでには及ばなかったようだ。

最終的に

まぁこれも因果応報というか、数年前の自分を見ているような気持ちであり、かつ、それがブーメランとなって返ってきてしまっただけのことなのかな、と思うことにして、主人の復職を静かに半年、待ったのである。。。

結果として無事、梅雨が終わる頃にようやく復帰が叶い、それからも少しずつ体調を崩しつつ持ち直しつつを繰り返して何とかボチボチやっている、といった状態が続いている。

妻としてはひとまず安堵する気持ちもあるのだが、いつまた休職になってもおかしくないな。とか、恐らく会社的にも次休職になったらアウトなのではないか?とか思っていたりして、主人が転職して給料が下がったときのためにも、家計のシミュレーションに余念がない。

結局はお金のやりくりで苦労する。「また次」が無いとも限らないので、コツコツ貯金はしておかねば、とこれまた教訓になったのであった。

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