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わたしの友だち

この前ひとりで帰り道を歩いていて思ったんだけど、普通に歩いていると誰かを追い抜かしたりあるいは追い抜かれたりするよね。あんまりずっと同じペースで付かず離れず歩くことってない気がする。つまり、誰かと一緒に歩くときって、どちらともなく「合わせて」いるんだなって。それでやっと「一緒に」歩けているんだろう。

重松清先生(先週演習をさぼってすみませんでした)の『きみの友だち』という本に思い入れがある人、結構多いと思う。わたしもそうだ。理由はふたつある。
ひとつ、小学生のときわたしは、ニコイチだとか女子のグループ、群れること、になぜだか結構な敵意を持っていた。誰とでもまんべんなく仲良くするのがいいことだという義務教育特有の綺麗事を信じてやまない優等生だったから。「一緒にいなくても寂しくないのが友だちだと思うけど」と言う恵美ちゃんを心強い味方のように感じてしまうのも無理はないだろう、小学生だし。

人間関係は椅子取りゲームだってことに気づいて絶望したのは高校生くらいのときだ。そのとき、なんて損しているんだろうと思った。わたしといえばこの子、みたいな親しい人をつくることは人生においてとっても便利で必要なことだ、あらゆる点から見て。わたしは全然そういうやり方を知らないままここまで来てしまって、今までの友だちにもこれから出会う人々にもだいたい既に親友だとか恋人だとかがいて、いやまだいなかったとしてもわたしは誰かを選んでそうやって親しくなる自信が全然なくて。
『きみの友だち』を読み返したら、恵美ちゃんと由香ちゃんは、これ以上ないくらいのニコイチだったし、みんなと仲良くしなくても少ない友だちがいればいいって、そういう話だった。なんて自分に都合のいい読み方をしていたんだろうとちょっと笑ってしまった。

じゃあなんでわたしそうやって誰かと親しくなれないんだろうって悩んでた。はじめは義務教育のせいにして憤ってたけど、違うかもと最近薄々わかってきた。わたしはそういうタイプの人間なのかも、ということ。
そもそも誰かとずっと連絡を取り合うとか、苦手だ。家族とすらしない。長電話とかLINEが続くとかしたことないのは単純にそこまでしたくないからだろう。人と会って喋るのは好きだけど、それ以外のときに繋がっている感覚をあまり求めていないんだな。(※別に嫌なわけじゃないししたくなることもあります。めっちゃツイッターするし。)
それに、ひとりでいるのが好きだ。人といるときは結構気をつかうというか、頑張ってしまう性格だから、ひとりのほうが楽。人といるときにもっと楽にしたいなあと思うこともなくはないけど、気をつかうからといって楽しんでないわけじゃ全然ないし、周りが見れて、誰かと一緒にいるのだから楽しく過ごしたいなと気をつかえるような人が好きなので自分もそうありたい。あと、ひとりじゃなきゃ本は読めないし、文も書けないし。ひとり焼き肉もひとり旅もひとりライブ参戦もひとりファミレスも、本があれば楽しいし最高。とか思ってしまうわたしと仲良くしてくれる優しい友だちと過ごせる時間も最高だし、どっちも本当に同じくらい大事。

小学生のわたしは「みんなと仲良くした方がいい」に囚われていたけど、悩んでたわたしは逆に「ある程度の依存関係みたいなものがあったほうが社会的に有利だし正常だ」に囚われてた。それだけのことでした。わたしには親友じゃなくても親しいと思える友だちが、いっぱいいる。いろんな人とまんべんなく仲良くしてきただけあって、いっぱいいる。自慢だ。もう大人だし、ずっとべったり一緒にいなくてもいいでしょ。もしかしたら遠い人だなって思われているかもしれないけれど、わたしなりの精一杯の親しさ。わたしの方ばかり友だちだと思っていたって、それでいいと思う。もしも伝わっていたら、わたしのことも友だちだと思ってくれてたらうれしいし。

ここで『きみの友だち』に思い入れがある理由のふたつめに戻る。文章を書いて賞をもらったことが人生で1度だけあって、それがこの本の読書感想文なのだ。なにを書いたかそこまで覚えてないけど中学生なりに、友だちについていろいろ考えて書いたのだった。夏休みの宿題で出して、区か市のなんらかで出すからちょっと直そうって国語の先生に言われた。
覚えているのは、なんでそうやって喧嘩しながらも一緒にいたり友だちという存在にこだわったりするんだろうって結論をわたしが「楽しいから」という一言でまとめた部分について、もうちょっとなんか書けないかと先生に添削されて、でもそれ以上なにも書けなかったこと。

今だったら、もうちょっと違うことも書ける。友だちって、人生を豊かにしてくれるものだ。友だちは他人だ。自分と違う人生を生きていて、会って話せばそれを分け与えてくれる。読書をすると自分の知らない世界に出会えるというけれど、それとおんなじだと思う。しかもひとりの人間は何十冊の本、あるいはそれ以上くらいすごい。
安心感とかなんでも言える相手とかひとりじゃないと思えるとか友だちの効用は様々にあるしどこを重視するかは人それぞれだ。わたしは、人とふれあうことは人生を豊かにしてくれるし、そのもっともよい形が友だちなんじゃないかなと感じている。どんな他人ともふれあえば得るものはあるけど、やっぱり友だちが一番楽しいもん。

だから、一緒に歩くのだ。ありのままでは並んで歩けなくても、気をつかったり、合わせたりして。お互いにちょっとずつ相手を思いやりながら、「じゃあまたね」って手を振るまでの間、同じペースで歩く。うん、少なくともわたしはそういうもんだ、と今思っている。友だちのこと。

わたしはその友だちがいないところでその子の話をするのが好きで、意識せずによく友だちの話をしてしまう。なぜならわたしの友だちはみんな面白かったりすごかったり優しかったり可愛かったりかっこよかったりして、わたしの自慢だからだ。だからわたしも、誰かの一番親しい友だちにはなれないかもしれないけど、みんなの自慢の友だちに、そういう友だちになれたらいいなと思って生きる。

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