見出し画像

「自分だったらこうできるのに」と思った時は、自分の才能に気づくチャンスなのかもしれない

仕事始め
今日は心がどーんっと動いた日でした
そんな記録です

***

私はこれまでの理学療法士としての経験から、退院直後に短期集中で行う訪問リハビリの必要性を感じていて、その提供を目指して動き始めています

その一環として、訪問リハビリの現場を見学させてもらう機会を頂きました

とはいえ、理学療法の提供自体は病院勤務時代に長いことやっていたので
理学療法の技術 ではなくて、 訪問リハビリ というサービスがどのような流れで提供されているのか
という全体像を把握するための期間

そして、あくまで同行者なので、私は見学しかできません
その立場をよくよく理解してはいたのですが・・・

いち理学療法士として、とてもショックな場面を目の当たりにしました

***

とはいえ、やはり詳細の出来事をかくことはためらわれます
簡単に書くと
完全に自分本位な理学療法の現場を見たことによるショック
だったかなと思います

本来、理学療法を提供する上で情報収集は欠かせません
そして、同じ病気や怪我の名前でも障害の程度も違えば、目標とする生活も違います
そのため、その方がどんな方でどんな目標を設定して、どうアプローチしていくか
完全オーダーメイドな治療となります
たとえ、外から見たら何パターンか同じ運動を使いまわしているように見えても、その運動に行きつくまでの思考過程があります
そして、ここが理学療法士の醍醐味であり、価値であろうと考えています

しかし、今日見学させてもらった中で、この過程を大切にしているとは思えない現場を見て、しまいには本人が痛いからやめてと本気で言ってることを続けている
こんな理学療法ってあるの・・・・???
と混乱とショックと、そしてその場で何もできない自分の無力さと一気に負の感情たちが混ざり合った状況でした

こうやって書くと、なんてひどい理学療法士だ!となりそうですが、私には一面しか見えていないのも事実です
今日見た中でみなさんリハビリがくるのを楽しみにしていたし、リハビリに感謝している様子が伝わってきました

しかし、少なくとも、私の理想としている理学療法士像とはかけ離れていた
いや、むしろ正反対
本当にこれでいいの・・・???
と強く感じたのでした

***

怒りを感じる時、そこに自分の理想が隠れているのかもしれない、といったニュアンスの言葉を聞いたことがあります

「自分だったらこうできるのに」
その思いはよくよく見ると、自分の才能と向き合うきっかけになるのかもしれません

今日の一連の流れの中で、そんな思いがふつふつと湧いてきました

***

話変わって、今日は夕方少し時間があったので、足裏マッサージを受けてきました
比較的マッサージを受けることは好きで、その時々で気になるお店に行ってみる、というスタイルなのですが
今日行ったところでは、もう一度この方にやってもらいたい、と思う方と出会うことができました

施術自体はもちろんなのですが
それよりも施術を始めるまでや施術後の会話で特にそのように感じました

この方は、私が何に困っていて、どうやって自分の身体を認識しているのか一緒に考えてくれている
その上で私に必要なサービスを提供し、提案してくれる

そんな部分にとても惹かれたのだと思います

そして、よく考えてみると、この姿勢が私が理学療法士としても大切にしたいと思っている姿勢なんだよなと改めて感じました

冒頭にあげた、自分本位の理学療法の場面では、この姿勢を感じなかったのです
自分の技術ありき、自分の知識ありきで、受け取る側の人の都合を考えない感じ

***

見学初日でここまで思ってしまうのはどうなの、という感じもしますが笑
まだ始まったばかりなので、継続して見学することで気づけることもあるかと思います
随時、思考をアップデートできたらなとは思います

でも、今日ここにこの内容を書かないと私の頭の混乱が収まりそうにないので書かせてもらいました笑


なんとも言えない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?