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先週の土曜日、実家の愛犬が亡くなった
徐々に体調を崩していたし、長くはないとは思っていたけれど、持病のてんかんをきっかけにバタバタっと

私も子達も悲しんだ
心にぽっかり穴が開いてしまった感じ
そして、母にとってはわが子同然だったので、何より母が大丈夫か心配になった

普段感情をあまり大きくださない母だけれど、さすがに数日は落ち込んでいて
それでも、今までお世話で身動きがとれなかった分を取り戻す可能ように、いつにもまして予定がどんどんと入り(わが子の看病なども入るのだけど汗)
あっという間に来年海外に行く予定まで立てていた

元々行動的な母だけれど、さすがに悲しみを隠すような行動なのではないかなと、あとからどっと悲しみに押しつぶされないかなと心配になった
でも、悲しみを隠しているわけではなく、私たちや友人、行きつけの美容師さんなどに話しているようで、きっと消化もしているのだろう

よくいう男性脳と女性脳と、母は男性脳だと思う
こんな言い方自体、時代錯誤かもしれないけれど、言い換えると女性脳=共感力、男性脳=課題解決力としてイメージ

妹が母に愚痴を言った時、妹はただ単に聞いてもらいたかっただけのよう
「大変だったね」って言ってもらいたかったらしい
でも母は「どうして〇〇しないの?」と課題解決方法についての話になってしまい、妹が聞いてほしかっただけなのにと怒っていたエピソードを聞いた
私は「母に共感を求めてもな」と思った

母は以前、ウェディングプランナーをしていて、私も妹もそこの式場で結婚式を挙げた
1つだけ出された条件は
「絶対に感動的なエピソードを新婦からの手紙で読まないでほしい」ということ笑
一般的には一番感動的な場面だと思う

母はそういった「お涙ちょうだい」的なことを嫌がる
分からんでもないけど、私は結構そういったことが好きで、映画もヒューマンドラマ系が好きだ
母は完全にアクション系

私も愛犬の旅立ちはとてつもなく悲しい
その日は泣けてなけてしょうがなくて、夫にひたすら話を聞いてもらい、写真を見返した
母の喪失感は想像以上だと思うし、ただただ涙する時間もあると思うけれど、それで動かなくなるわけではなく、動くことを選んだ
なんとなく母らしい選択だと思った


そんなことを考えていてふと気づいたことがある
私は母に
「大変だったね」「がんばったね」
ってそう言ってもらいたかったのかもしれない

母が共感力弱めだからといって、父がその役割をしていたかといったらそうではなく、昭和の親父ややマイルド版みたいな感じで
頑固だし怒りっぽいけど、大抵のことは頼むとやってくれて、子育てにも結構関わってくれてという感じ
でもこの「大変だったね」を言ってくれるような存在でもなかった

兄、妹に囲まれた中間子
中間子特有のひねくれ感、自立心旺盛な部分も相まって
そしてそれなりになんでもできたということもあり
「大変だ」と自ら助けを求めることもほとんどなかった

「大変だけどやればできるからやる」
「やりたくはないけどやればできるからやる」
そんな選択をしてきたことが多く、断ることが下手だった
そんな過程がいつのまにか
「私ばっかり」
という被害者意識に繋がっていたかもしれない
「私はこれをやりたくない」とはっきり言うことをしてこなかっただけなのだ


「やればできる」という自分への絶対的な信頼がある
一方で
「やりたい」こと「やりたくない」ことをはっきり伝えられない葛藤がある
そもそも、「やりたい」「やりたくない」にうまく気づけていない気もする
そこがきっと自信のなさに繋がっているんだと思う


今まで「頼まれたことをやる」スタンスが多かったから、自ら「やります」と声をあげることに抵抗がある
「やります」といったのに、思ったようにいかない、大変だとなったらどうしようという不安がある
そういった時は「大変だ」「助けてほしい」と声にだしていいのだ
今まで、そうしてもらえなかった(と感じている)のは、自ら助けを求めることをしてこなかったからであって、助けてもらえないわけではない


母と似ている部分がある一方で、根本的に違う部分がある
アクション映画が好きで、お涙ちょうだいが嫌いでな母
そんな母に「大変だったね」「よくがんばったね」ってただひたすら共感してほしかった自分に今回気づけた
でも、共感してもらう=愛があるというわけではないのだ
私が大変な時に頼ったら動いてくれる、助けてくれる
そんな課題解決型の愛をくれている

母は私を認めてくれている、それは強く感じる
でも「甘える」ということはできなかった
だから「やりたくない」「いやだ」ということを出せなかったんだと思う

母の愛情表現の方法と、私が自分の本当の気持ちを出すかどうかは別問題
「できるか分からないけれどやりたいこと」
「できるけれどやりたくないこと」
こういった思いを言葉にして、出していくこと
出してもいいことを自覚しよう
それが私が「甘える」つまり、「自分に正直に生きる」、「自分らしく生きる」ために必要なのかなって
そんなことに気づいた真夏な日


今日はいつも以上にだらだらと書いてしまった
だいぶ自分の思考整理のための記事になってしまいました
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました!


もしよければ自己紹介も見て頂けるとうれしいです(^^)



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