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死に方は、きっと本人が決めている

たくさんの方の死を見ていると、不思議なことに誕生と同じで、そのプロセスは、1人として同じ人はいない。

どこで亡くなるか、どういった環境下で亡くなるか、どのタイミングか。それも、その人自身が決めているような気がしてならない。

病院に勤めていた時、ある長く勤めている看護師から「不思議にね、ここの病院で死にたいという人は、本当にこの病院で亡くなるのよ」と教えてもらったことがあるが、仕事をしているうちに、看護師の言うことは、本当だとわかった。

病院にも種類があって、大きな病院は救急患者を受け入れたり、難しい治療を行ったりするが、ベット数のこともあって、長くは入院できない。そのために、長い治療が必要場合には、ある程度の治療が終われば他の病院で療養するという流れになっている。そのため、転院をしていただく人も多いのだけれど、それがどうしても嫌という人がいる。

どうしてもこの病院にいたい、この病院で最期を迎えたい、と言う人は、転院先が決まったタイミングで急変して亡くなる、とか、当日に急変して転院自体なくなるとか、そういったことがある。

家族が集まれるタイミングで亡くなるのか、ひっそりと亡くなるのか。

それも、その人自身が決めているのだと思う。

もし、あなたに近い誰かが、とても悲しい亡くなり方をしたとしたら、とても悲しいだろうと思うのだけれども、実はそれにも意味がある。

私たちは、生まれる前に亡くなり方も決めてきているのじゃないか、と思う。多分、みんな覚えてないと思うけど。



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