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ほんもの

 出張でのささやかな楽しみは、その土地、土地の文化に触れること。
 それは、食文化であったり、生活文化であったりと、その時々の楽しみを得るように心がけている。


「鶴川へ行ってくる」
 久々の母からの電話で私が何気なく言ったら・・・
「『武相荘』があるから見てきぃや」

「えっ!ほんま?そうやったっけ?」
慌てて現場地図を探したら、なんと、ラッキーなことに現場のまん前。

 私の母は、歳のわりには心臓〜頭まではしっかりしていて、歴史本、哲学本、文学書からエッセーまで何でも読みこなす。私はハウツー本ばかりなので、頭が上がらずじまい。その母の薦めならば、これはもう行かないワケにはいかず、何よりも私もまた、白洲次郎・正子夫妻には憧れ、共感するところも多く、とんでもない楽しみができた。

 さて、その『武相荘』
母屋は屋根の葺き替えの為金物の足場(単管)で囲まれ、おまけに雨模様なのでブルーシートまでかけられていた。(あとでわかったのだが、この葺き替えはウチのクライアントさんも手伝っていたと)

 次の予定もあり、少ない時間の中、白洲ワールドに浸りきる。

 確かに、稀人だった白洲夫妻。私たちとは出生環境も育ちも全て違うが、そうした人たちと私たち庶民はどれほどの差があるのだろうか。
 地球上のすべての生命体は命を与えられ、その領分を全うして死んでいく。私たちは自分の身の丈を知り、その身の丈に合った目線で見れば、その先はみな同じように思えるのではないだろうか。『お茶処』でお茶をいただきながら思いを馳せたのは前述の母のことだった。

「行ってきた?」
「うん、行ってきたよ」
「どやった?よかったやろ?」
「うん、感動したよ。そやけどお母ちゃん、その時、私が何を思てたかわかる?」
「・・・」

「あんなぁ、あこでお茶してたとき、窓から差し込む光をみて、お母ちゃんのこと思い出してた」
「何でやの?」
「お母ちゃんもこうして光を感じながら、正子さんを自分のものにしてたんと違うかなって」
「・・・」

「あんな、お母ちゃん、お母ちゃんは正子さんと同んなじ時代を生きて、つぶさにいろいろ見ながら感じながら、ずっと憧れてきたって話してくれたよね。私はあの光の中でお母ちゃんも一緒やなぁ・・・て、思てたんや」
「・・・」

「学歴も地位も財産も生き様もみんな違うけど、お母ちゃんなりの一生は同んなじやんか・・・お金こそ無かったけど無いなりに身の丈に合った好きなもん集めて、たくさんの本を読んで、行きたいとこいっぱい行って、俳句もいっぱいいっぱい詠んで、本当に大事なもんは何かっていつも見つめてるやんか。決して人のこと羨ましがったりなんかせえへんし、ほんの小さな自分の幸せを感謝しながら生きてる。そんなお母ちゃんが、あの陽だまりのなかで感じたことが手に取るようにわかった気がした」

 延々と喋り続ける私の受話器の向こうの母は、多分、勇気を出して聞いてくれている事だろう。
 何故かというと、年明けの二月に4回目の股関節の手術を控えているので、ちょっと、ナーバスになっていたから。私の話がきっと気分転換になった事だろう。

 現に
「そうやなぁ、よう考えたら悔いないもんな、わたしは!」
そう言った声は、いつになく溌剌としていた。

 こうして、無事手術を受けた母は、足の痛さもとれ、俳句仲間のみなさんに誘われて、また、吟行に行かせていただいている様子。

どこまでもポジティブでノーテンキな母娘の話。


***

2007年11月23日記


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