見出し画像

ビルマの独立に貢献した勇士を、百人斬りの冤罪で虐殺したアメリカ

┃「アジアはアジア人の手に」と、ビルマ解放に闘った野田毅陸軍大尉
 
我が国は親子の絆を守り抜いてきた唯一の国家です。
天皇陛下は独裁者ではなく、親のような存在であればこそ
永遠性が保たれ、万世一系が貫かれています。
日本は、究極の克己心である武士道精神の大義を重んじる伝統が脈々と継がれています。
和の精神により他者を優先する調和伝統が確立しており
勤勉な国民性が力強い技術力を生み出してきました。
日本は、
知、情、意が見事に融合した稀に見る国家です。

大東亜戦争に於いて日本人は大義のために命を捨てました。
そのご英霊のお陰で今の世界があります。 
先日のnoteで我が国の工作機関について触れました。 

 今日は、ビルマ独立に貢献した野田毅(つよし)陸軍大尉です。この方も、藤原岩市氏と同様に諜報要員でした。

野田毅陸軍大尉 1912年生まれ(35歳、鹿児島県出身)

ビルマを残虐な白人支配から解放する為に身を捧げた方です。
それにも関わらず南京大虐殺の百人斬りという冤罪で、無惨な殺され方をしました。

彼は「アジアはアジア人の手に」という夢を胸に
アウン・サン将軍と共に闘い抜きました。 
ところが戦後、東京裁判が始まり、
アメリカが(中国ではない)、唐突に持ち出した捏造物語、いわゆる「百人斬り」の冤罪を負わされたのです。
今尚、日本の教科書では
ビルマの独立のために戦った勇士でありながら、極悪人として汚名を着せられ続けています。
そのような不甲斐ない道を強いられたにも関わらず、野田陸軍大尉のご遺書には、恨みの言葉は全くありませんでした。
崇高な日本精神に満ち溢れていたのです。
----- ----- ----- -----
●1948年1月28日、野田毅陸軍大尉
南京攻略の際に百人斬りをしたという冤罪
中国 雨花台にて銃殺刑

┃「日本国民に告ぐ」~死刑宣告後に綴った遺文

(…)只、今般中国の裁判に於て捕虜住民を虐殺し、南京屠殺に関係ありと、判定せられましたことに就いては、
私は断固無実を叫ぶものであります。
再言します。
私は南京に於いて百人斬りの屠殺をやったことはありません。
此の点、日本国民はどうか私を信じて頂きます。
 
たとえ私は死刑を執行されてもかまいません。
微々たる野田毅の生命一個位は日本にとっては問題ではありません。
ただし問題が一つ残ります。
日本国民が胸中に怨みを残すことです。
それは断じていけません。
私の死を以て
今後は恨みなど怨讐を乗り越えて、
誠心を持って中国と手を取って、東洋平和、否、世界平和にまい進していただきたい。
中国人も人間であり東洋人。アジア人です。
われわれ日本人が至誠を持って接するなら、中国人にも分からないはずはありません。
至誠神に通ずると申します。
同じ東洋人たる、同じアジア人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
西郷さんは「敬天愛人」と申しました。 
何卒中国を愛して頂きます。
愛と至誠には国境はありません。
 
中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり、
東洋平和の人柱となり、
何ら中国に対して怨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得たことを以て、
日本国民もこれを諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。

-----【遺書】-----
(略)「我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても
貴国を 怨むものではありません。 
我々の死が 中国と日本の 楔となり、
両国の提携となり、東洋平和の 人柱となり、
ひいては、世界平和が到来することを 
喜ぶも
のであります。 
何卒、我々の死を 犬死、徒死 たらしめない様、
これだけを 祈願いたします。 
中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」
----- ----- ----- (遺書、ココ迄)----- ----- -----

二千年前、イエスの十字架がそうであったように、
大儀を貫いた多くの日本人が、尊い命を捧げました。

今一度、この日本精神をもって立ち上がらねば!!