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別子銅山

別子銅山へ行ってきたときの。
愛媛県の東の方、新居浜市にある日本最大級の銅山です。住友の経営していた銅山で、江戸から昭和まで300年もの間採掘が続いたそうです。
銅山だけではなく、海底ケーブルの進歩や端出場水力発電所といった当時の最先端技術が見れるのがおすすめです。

マイントピア別子

別子銅山は中央構造体のやや南にあり、地殻変動やプレートの沈み込みにより大規模な銅床が形成されたそうです。
銅山の麓は道の駅となっており、お土産を購入したりご飯を食べたりできます。2階にはトロッコ乗り場があり、銅山入口までトロッコで向かうことが出来ます。待合スペースには旧端出場発電所の解説パネルがあり、トロッコの待ち時間にちょうどいいです。

トロッコに乗って観光大使の水樹奈々さんのアナウンスを聴きながら山道を登っていくと、文化財にも指定されている鉄橋が見えてきます。木々の茂る山の中に赤い鉄橋が映えて美しいです。私が行った時は猿が休んでました🐒

文化財の鉄橋

トロッコの駅から5分ほど歩くと坑道にたどり着きます。真夏でもやはり地中は涼しく、外気35度のところ坑道内は18度ほどでした。肌寒いくらいの中を進んでいくと、掘削現場の模型や蝋人形の再現ジオラマなどの展示があります。当時の人達がどのように銅を掘り運搬して生活していたか、またポンプも無い時代にどのように排水して坑道を保っていたかが学べます。出口付近には体験コーナーもあり、実際にポンプで高い場所に水を移動させる体験もできてすごい面白かったです。

長い坑内には映像や当時使われていた道具なんかもあり、数百年続く中でどのように採掘が進化していったかも学べます。江戸時代ではノミで手彫りだと思いますが、昭和にもなると機械で掘ったりダイナマイトで崩したり。露頭掘りから坑道、鉄道の整備が進み、それを動かすための発電所が出来、こんな険しい山の中でどんどん近代化が進められていったことがわかります。

夏でも18.6度と涼しい
採掘の様子
当時の携帯、でかいですね


閉山となる前には海面下1000mと地熱の影響を受けるほどに深くまで掘り進んでいたそうです。坑道内の環境は気温50度、湿度95%以上だったらしく、さらに崩落の危険もあり、地獄すぎる、、、

旧端出場発電所跡

当時の発電機が今でも見ることが出来ます。また、外側だけではなく、実際に水が当たって動いていた水車の部分も下から覗くことが出来ます。

瀟洒な煉瓦造りの建物
ドイツ製の発電機、電磁力で電気を作るんですね
ペルトン水車

仕組みとしては銅山川の水を貯水槽に集めて、そこから高圧鉄管路の中を一気に落とすことで、落差を利用して大規模発電を行っていたそうです。その高さは597mもあり、当時東洋一と言われていたそうです。細い川しかなくても水を集めて発電に利用したこと、発電に使えるくらいの高圧に耐えられて、落差を保持できるくらい長い鉄パイプの加工技術など、住友の高い技術力や問題解決能力が見えてよきでした。

また、館内には海底ケーブルの話もありまして、こちらも住友の高い技術力が伺えてよきでした。面白かったです。当時亜硫酸ガスの公害に苦しんでいた銅山は、選定場を海を挟んだ四阪島に移すことにしました。しかし島には電力が足りていなかったので、四国側から送電する必要がありました。そこで作られたのが海底ケーブル。当時では世界最長となる20kmの敷設に成功し、操業していました。

別子銅山記念館や大山祇神社など、街の方にも銅山の名残や文化を伝える建物が残っています。どれも面白いのでおすすめです。

大山祇神社


おわり

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