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春風(シュンプウ)の曲たち。





彼女の歌声を初めて聴いたのは高校生の頃だった
すごい衝撃を受けた

ただ上手いだけじゃなくて
声の中に色んな表情があって
声に熱と深みがあり心地よくて
ずっと聴いていたくなるものだった

彼女が詩を書いていることを知ったのは
いつだったろう

その頃、共通の友人が抱える悩みに
応援の気持ちを込めた曲を作っていて、
彼女に歌詞を書いてもらった

それが最初の曲だったな
でも録音されたものは残っていない

沢山歌を作ったと思っていたけど、
今も聴ける状態で残っているのは
この3曲だけだ

メロディだけ作って編曲まで行かなかったものや、
オケが完成しても歌入れまで出来なかったものがある

学生時代は無限に時間があると感じていた
いつでも出来るという気がしていた
だから、その時したいことを優先していた

形として残すこと、
それを継続して行くことの大切さを
それほど大事に思っていなかった



私は曲を作る際
譜面も書かず、全てを感覚のまま
シンセサイザーで打ち込みして作っていた

楽器を何も演奏することが出来ないので
演奏する機会があっても
ほぼシンセサイザーに演奏を任せていた

かっこいいパフォーマンスも出来ず、
聴く人に楽しんで貰えるような演奏が出来なかった
自分の曲を自分で演奏できないことが
ずっと心残りだった

いつか楽器を演奏できる様になりたい
けれど、なかなか惚れ込める楽器に出会えずにいた

社会人になって、
色んな国の人と触れ合うことがあり、
自分が何も日本を伝える術を持っていないことに気付き、
何か日本的なものを身に付けられないかと考え始めた

そうだ、和楽器はどうだろう?
太鼓は?お琴は?
色んなところで演奏出来るくらい上手くなりたいな
それなら持ち運びしやすい楽器のが良くない?
なら、三味線は?

。。と考えていた矢先に、偶然友人から
津軽三味線習わない?と声をかけられた

その音色を聞いたら、虜になった

途中様々なことがあって
右手を壊し左に転向して
それでも細々とずっと続けて来た

そして一昨年辺りからようやく
津軽三味線でのオリジナル曲を作れる様になって来た

今まで使っていたシンセサイザーではなく
今の時代のアプリを使った音楽作りの方法も
少しずつだけど身について来た

やっと、学生時代にイメージしていたことが
出来るものが揃って来た

歌入りの曲もまた少しずつ作り始めた

また彼女に歌ってもらえたら嬉しいな

そう思っていたけれど
それはもう、
二度ど叶わないことを知った



卒業して
違う道にそれぞれ進んで
お互い生活も全く変わった

住む場所も離れていたから
数年に一度会ったりするくらいで
自然と疎遠になっていった

でもネットで彼女の描く絵も見れたし
語りも読めたし
離れている感覚はそんなになかった

ブログの更新が止まっても
趣味が変わったのかな?くらいにしか
思っていなかった

頻繁に会うわけでも連絡を取る訳でもない
でも忘れることはなくて
曲を弾くたび、作る時も
よく彼女を思い出していた

歌ってもらった歌を聴くたび、思い出していた


何かをしたいとか
創りたいとか
私は色々思いながらも
それを行動に移したり、
形にしたりすることが
とても遅い

形に起こすことすら出来ずに
考えるだけで終わって行くものがとても多い

もっと上手く出来る様になってから、とか
完璧を求めすぎて進めないことが多すぎて

下手だろうと
上手く出来なかろうと
行動しないとその先には進めない

思い立った時に
失敗してもいい、
ほんの少しでもいいから動かないと
気持ちも情熱も、いつか消えて行く

行動できる時間も、体力も、状況も、
いつまでもある訳じゃない

それは私だけじゃなく
どんな人もそうだということを
私は、真剣に考えることをせずに生きて来た

曲が出来たら、とか
三味が上手く弾ける様になったら、とか
そんな、いつか、を
ただ漫然と思いながら過ごしていたから

こんなにも時が経ってしまった
そしてもう二度と彼女に会うことは出来ない


大好きだった
彼女の歌も書く詩も大好きだった

たった3曲しか残せなかったけど
彼女と共に創った曲たちを
誰かに聴いてもらいたいと思った
私が大好きな彼女の歌声を




聴いてくれて、ありがとう


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