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41歳ワーママが看護師になるまでのキロク⑫退職

最終出勤を経て、無事に退職した。
想定より退職タイミングが遅くなったが、それは新卒から20年も勤めた会社を退職するのに、想像以上に、それはそれは勇気が必要だったからだ。
専門学校合格後、どのように逡巡して退職に至ったか、備忘録として残しておこうと思う。

働きやすい職場

私が所属していた部署は、端的にいって働きやすかった。
どんな感じかというと、
業務中、同僚は何を質問しても嫌な顔せず答えてくれ、面と向かって言えないレベルの悪口・噂話を耳にすることはなく、家庭の事情で休むとなればお互いにフォローする空気があり、事前に申請しておけば有休が取れないことはなく、自分の仕事が完了すれば定時に帰ることができた。比較的安定した中小企業だったため、メンバーシップ型とはいえ役割はほぼ固定されており、ボーナスもあり、所属部署の上層部は(少なくとも従業員として関わる限り)社員思いだった。
だからこの会社に所属し続ければ、安定して子育てしながら暮らしていける見通しが持てた。

一方で看護学生になるということは、これまでの信頼貯金や、現職での昇進の可能性や、20年分のあちこちに散らばる人間関係を投げ捨て、ゼロから別の山を登る、ということである。そしてその山は、3年間追いまくられる勉強と、誰もが大変だったと口をそろえる実習、さらにキツイと言われる1年目、2年目、人間関係、夜勤の辛さなどを乗り越えた先に、やっと登り始められる山だ。小学生の子育てに加え、更年期も来る、両親の体調の心配もある。

自分と自分の家族にとって、どちらが本当に幸せか?
容易に答えが出せなかった。
何度もメリットデメリットを書き出し、人生で迷った時について書かれた書籍やブログ・noteをあれこれ読み漁った。でも、自分にぴったりくる答えなんてどこにもなかった。
自分で決めるしかないんだと分かったころに、決死の思いで上司に退職希望を告げた。1月の終わりになっていた。上司は驚き、話し合いと紆余曲折を経て最終出勤日を迎えたのは3月中旬。準備を考えるとギリギリだったと思う。

どうして進むと決意できたのか。3点ある。

このまま定年を迎えたとき、自分に何が残るだろうか?
自分が死ぬとき、40代の自分をどう思うだろうか?を考えた

例えば50代で役職定年となり、後輩の部下となる自分。例えば60歳で定年し給与が下がり、再雇用にならず、転職に右往左往する(しそうな)自分。
例えば自分の人生がもう長くないことを悟り、ベッドで人生を振り返る自分。
想像してみた時、「動かなかったことを後悔しそう」と思った。
振り返ると、これまでの人生の時々で看護師になりたいと感じていたからだ。

「やるべき。そばで見てきてそう思う」という夫の言葉

ある日どうにもひよってしまい、色々考えたんだけど現職のまま行こうかな?と夫に相談した。すると夫は、

「今居心地がいいからといって、これからもそうとは限らない。もしまた異動になったとしたら、やりがいを持って働いていけると思う?これまで異動を繰り返してきた分、イチから始めることについては耐性があるはず。年齢的にも制度的にもチャレンジできるギリギリの年齢なんでしょう。やる方がいい。やるなら楽しみな」と言った。

一番負担をかけるであろう夫が明確に背中を押してくれたことに感謝の気持ちで一杯になった。と同時にやはり現職に満足していない自分の気持ちが明確になった。

たまたまテレビで見た株式会社刀の森岡毅さんの言葉

森岡毅さんは、ユニバーサルスタジオジャパン再起の立役者になった人だ。

「来た球に対してバットを振らなかったら、振らなかった自分をきっと何年後かに許せなくなると思う」
「やりたいと悩むことはほとんどの場合取りにいけるんです。怖いけど、怖いからやらないじゃなくて、怖くてもやるんです」

この言葉が、悩みまくった心にスパンとはまった。

そして入学目前の今。
どんな心持かというと、
元の職場のことは、もうほぼ思い出さないわけです、これが…笑

自分で答えを出すことができて良かった。
後はこの選択を、自分で正解にしていこうと思う。淡々と。







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